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2013年6月16日 (日)

ある集会での、一歩踏み込んだ挨拶

ある集会で基調になるような挨拶をする機会があったが、内容が集会の従来方針から大きくそれるものになってしまったので、なるべく訥々と説明することにした。

・・・・というのは、嘘で、新しい枠組みでこれまでの方針を捉え直した時の第一回目の発言では、大抵うまくしゃべれない。

そこで、実際に読んでみると、現場の挨拶には全く向かなかった失敗原稿をここにアップしておこう。もう、3、4回しゃべると迫力を持って話せるようになるのかもしれない。

「みなさん、おはようございます。
中四国地方協議会担当副会長の野田です。ふだんは山口の宇部協立病院で内科の医師をしています。よろしくお願いします。

最近、私が委員長をしています高齢者医療委員会の主管で在宅医療・介護交流集会を開きましたが、一委員会が主管する交流集会としては空前の750人の参加者がありました。

総会代議員数より参加者が多くなったので、「総会超えの交流集会」という呼び名を新しく提唱しているところです。

一交流集会にこれだけの参加者があったことは民医連医療や日本の医療が21世紀になって大きく転換していることの現れだと思えます。
「病院の世紀」が終焉し、地域包括ケアの世紀が始まっているというのは、一橋の猪飼周平さんが言い出して、僕がそれを修正しようとし始めた頃になって民医連の一部の医師のなかで流行り言葉になっているのですが、概ねそういう変化が起こりつつあることは、この集会に反映されていたと、思います。

在宅の交流集会の前に開かれた中小病院交流集会も、やや中途半端ながら、21世紀は中小病院の時代になる、ただし、そのためには、中小病院は新しい機能を獲得する必要があることを指摘しました。それは在宅医療機能や、総合診療医の養成機能、また、地域の医療福祉介護連携の軸になる機能です。そのためには新しい経営構造の転換の必要性も強調されました。

少なくとも、これまでどおりの運動方針を守っているだけでは、日本の医療も、国民の生命も健康も守ることはできない時が来ていると、みんなが感じ始めていると思います。

そこで、民医連運動の役割りとしての「架け橋」ということが、40期総会からとなえられていますが、その言葉の発見だけに安住したのでは何の意味も持たないのではないでしょうか。

「 架け橋」の実体は国民生活と運動の新しい協同の在り方です。

今はそういうスタイルの運動しかありえないのではないかという考察がそこには含まれているのです。

(そうでないスタイルの運動と言えば、ソ連型の「である党と、それを大衆に伝える伝動ベルトとしての中間団体=民主団体と言うことになるのではないでしょうか)

たとえばTPPに反対する運動の中で注目された内橋克人さんの「FEC自給圏」を自分のものとしてどう具体化するかを真剣に考えないと、いくつもの架け橋が見えて来ないのではないでしょうか。

架け橋という言葉だけのインフレをやめて、具体的にこの世紀の新しい協同のための行動を探す必要があると思います。

それは、前回の中小病院交流集会で産業医大の松田晋哉先生が言っていた「病院門前町」を作ることではないのです、また今回の在宅医療・介護交流集会で鹿児島の中野一司先生が言っていた病院「ケアタウン・ナカノ」を作ることではないのです。

それらは、厚生労働省が言っているような、病院を中心にした「都市国家」を富裕層中心に作るということでしかありません。

それとは、全く逆に、ヘルスプロモーションや医療がしっかり埋め込まれた町を、今、目の前にある家や人を素材にして、リソースにして、そして私たちが民医連がそのしっかりした土台となることで作り出すことなのです。

それは宮崎の「かあさんの家」が、宮崎の県立病院のどこかにホスピスをつくってほしいという素朴な市民の運動からはじまって、ついに民家を改造した手作りのホームホスピスのネットワークを作り出し、「宮崎県全体をホスピスにする」という180度転換したスローガンを持つに至った経過を手本にしたものということが出来ます。

繰り返しになりますが、新設のサービス付き高齢者住宅を病院の周りに林立させるというのではなく、今、一人暮らしでわずかな年金によって暮らしている高齢者の住む場所をそのまま、サービス付き住宅に変えてしまうものであるはずです。

自分の病院を発展させてケアタウンにしたてるのでなく、病院のあるまち全体をケアタウンにするという方向性が求められているのではないでしょうか。

安心して住み続けられまちづくりと、あるいは、「架け橋」と、一万回唱えても、そんなまちや架け橋はやって来ません。

浄土真宗のお念仏をくりかえすことによる阿弥陀如来の救済を私は信じているものですが、しかし、それとこれとは違います。

実際には、アベノミクスなどという新自由主義の政策と真剣に真正面から対峙するところから、その具体像が生まれます。

大都市部に何もかも吸い取られるのでなく、民医連も有力な一員として住みたくなる地域づくりの住民運動を進めて、地方の衰退を食い止める努力がそこでは重要になります。

話は変わりますが中四国地方協議会も14回目を迎え、私は最初から一度も欠かさず出席しています。

地方協議会がスタートし、全日本民医連の機能や権限を委譲されていくと説明された時、山口という小県連もこれで恒常的に全日本と結びつき、長い間の停滞を打破できると期待しましたが、実はほとんど進まず、中四国全体が他の地方協議会からも取り残されて停滞していく、あるいは没落していくように思えてなりません。
それは、とくに医師数や医学生の奨学生の数に顕著に現れていると思えます。
これは、何も吉崎先生、杉山先生、田中先生、そして皆木先生らこれまで中四国を指導する立場にあった人たちを批判しているのではありません。

中四国が落ち込んでいるのは、基本的には、大都市圏への人口や富の異常な集中、および、それに重なる貧富の格差の異常な拡大の結果であり、根本的にはそれを是正する大きな動きを作り出さなければ解決されないことだ思うので、全日本民医連としても、大きな構えでこの地方協議会に対する対策と援助が必要だと思うのです。

さて、アベノミクスは、企業の持っている社債や国債を中央銀行が買い上げて、お金を企業にわたすというものですから、企業は金余りとなります。それを労働者の給料に回すのでなく、富裕な株主への配当に使おうとしているので、新しいバブルが引き起こされる方向に進んで、すでに大きな被害を国民生活に生み出そうとしています。
新しい需要を見込んでの投機による建設資材の高騰は、民医連事業所の建設にも深刻な困難をもたらしつつあります。
山口でも小野田診療所のリニューアルにあたって、太陽光発電をやめる、いろんな資材のグレードを思い切って落とすということが必要になってしまいました。

では、余った金を実体経済に使えばいいかというと、実体経済は国民の購買力に対してすでに過剰生産に陥っていますから、実体経済への有効な投資にはならず、次に来るのは、より深刻な過剰生産恐慌と大きなリストラ、一層の富の偏在、格差の拡大、中四国の没落です。

したがって、中四国地方協議会を強化することは、こういう流れを断ち切ることであり、民医連のためだけではないし、また民医連だけで到底できることでもないので、、繰り返しになりますが、地方におけるまちの復活、新しいまちづくりという視点での努力がどうしても必要となります。
実は、これが、新しい民医連綱領が私達に提起している問題だと考えます。

その意味でぜひ、大きな視点で、中四国地方協議会の展望を今日は議論していただきたいと思います。

それから、当面の重要な課題ですが、二つあると思います。

一つは改憲阻止です。
憲法96条の会ができたことが大きく報道されています。これに加わって奮闘することは何を差し置いてもやらないといけないことだと思います。

もう一つはもちろん参議院選挙です。
1994年に小選挙区制が導入されて以来、民意が選挙に反映しない仕組みが作られ、間接民主制への失望が広がっています。2009年の民主党政権は、それに一旦は風穴を開けましたが、1年も立たないうちに変質し、国民の失望はさらに深くなりました。
その結果選挙にいかない市民が増えています。その傾向は民医連のなかにも広がって、民医連職員の投票率は50%を切るとおもいます。
これはまさに新自由主義の狙うところで、市民から政治参加を奪うことにあります。投票率が常に20ー30%にしかならなければ、もはや、選挙制度も変わらず、現在の1%が99%を支配する関係は未来永劫に固定するだろうと言われています。
ではどうやってその権利を取り戻すかですが、ここにこそ今、目覚めつつある直接民主主義への国民の志向の集中が必要だと思います。反原発のデモに何十万と自発的に集まるように、新自由主義を拒否する運動として投票運動を構想するべきだと思います。
直接民主主義的手法で間接民主主義の瀕死状態を救うという、すこし想像しにくいことですが、この難問を乗りこえないと日本の民主主義の再生はないだろうと思います。

ぜひ、選挙に行こう、という運動を全県連で強めていただきたいと思います。

以上、雑駁で、必ずしも全日本民医連の方針をなぞる挨拶にはならなかったのですが、この総会を中四国地方協議会と全日本民医連の飛躍の一つのステップにしたいと願う私のご挨拶といたします。熱心なご討議を心からお願いします。」

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