「月刊地域医学」2013年6月号が届いた。僕の中では、「民医連医療」誌のライバル雑誌であるので、記事1、2個だけでも届いたその日に読むことにしている。
Ⅰ
まず、気がついたのは480ページ 岩室紳也氏の文章に付せられた「ヘルスプロモーションの理念」の図である。
坂道を人が大きな球を押して登っている見慣れた図だが、その球が「生活のしづらさ」と名付けられているのに注目した。
「生きづらさ」とすればもっとよかったかもしれない。
ふつうはこの球が「健康」と名付けられているので、訳が分からなくなるのである。
ヘルスプロモーション全体の理解は僕と岩室先生では相当違うが、この点だけは大いに共感した。
僕の理解では、坂道の勾配は「健康格差の社会的決定要因」「健康の構造的・間接的阻害要因」であり、人が押している球は「健康の社会的決定要因」「健康の個別的・直接的阻害要因」だとしている。
坂道の勾配をなしている「健康格差の社会的決定要因」が、個々人には「健康の社会的決定要因」として現象するという理屈はマルクスに少し親しまないと理解できないだろうとは思うのだが・・。
Ⅱ
編集長の山田隆司先生が、1979年自治医科大卒(福井県出身)の白崎信二 地域医療振興協会西日本事務局担当常務理事にインタビューしているのが面白い。
469ページ
白崎「当時の外科研修医はだいたい4、5年目で胃の全摘が経験できたのですね。私は診療所勤務が長かったので9年目で初めて経験して、やっとそれなりの外科医になれたと思って嬉しかったですね。そのように一人前になるペースは遅かったけど、診療所での長い経験が医師としてのそれからの人生には大きく役立ちました。」
山田「若い時に臨床医としてスキルに走らない研修をしたからこそ、外科医としてより幅が広がったということですね。
自治医大の卒業生がどこへ行っても一定の評価を受けているのは義務でへき地に派遣される中で何でも引きけて自分なりに解決する方法を体得しているからだと思います。」
白崎「大きい病院で外科しかやっていない医者には育たない能力だと思います」
山田「義務年限終了後はどうしたのですか」
白崎「社会保険高浜病院に行き、消化器外科なのに大腿骨頸部骨折の手術などもしたりしていました。そのうち、院長が、福井大学の整形外科の研修医になれと言いだし、めんくらいましたが、与えられた場でベストを尽くすという信念で、5年間福井大学の整形外科医局に通いました。私が整形外科医になるというより、福井大学から高浜病院へ常勤医を派遣してもらうためでした。」(一部、野田改変)
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