国民国家と多国籍(無国籍)企業・・・内田樹とエレン・メイクシンズ・ウッド・・・共産党の奇妙な習慣
5月8日の朝日新聞のオピニオンに内田樹が一文を寄せている。
その全文は http://blog.tatsuru.com/2013/05/08_1230.php で読める。
簡単にいえば、もはや無国籍国家となった日本発祥の大企業が、自らを国民国家の構成者だと称して、国民国家の財産を利用し、挙句に食いつぶすことへの、国民側からの強烈な異議申し立てである。
これを読むと、自然に「資本の帝国」エレン・メイクシンズ・ウッド、紀伊国屋書店、2004を思い出す。
その中で、ウッズは、要約すると次のように書いている。
「資本の権力は、国民国家権力と分離することで、身軽に全世界の隅々まで市場の命令を発することができるようになり、資本主義はグローバルなものとなったが、それ自体で市場の命令を世界に貫徹する力が十分なわけではない。
世界に市場の命令を強制するには、経済外の力、簡単に言えば軍事力が必要であり、それを作り出せるのは国民国家の権力しかない。資本の権力は国民国家の権力から、一時的に分離することはできても、本質的に国民国家の権力、国民国家の武力なしには存在しえないのである。
資本のグローバルな支配と、それを巨大な軍事力で支える国民国家群という様式はきわめて不安定で、真に民主主義的な経済的・政治的要求による挑戦の前に思いがけぬ脆さを必ず露呈するはずのものである。
したがって、ネグりの主張のように国民国家との闘いはもう無意味になったわけでなく、引き続き主戦場は国民国家内部にあるのである」
おそらく、内田とウッズが正しいのである。
だから、日本共産党第7回中央委員会総会の結びの言葉で、志位委員長がこれを肯定的に相当詳しく取り上げたのに僕も賛成する。
ただ、一点、志位さんが内田 樹のことを実名で紹介せず「ある関西の大学の名誉教授」と呼ぶということが不思議でならない。
考えてみると、こういう韜晦趣味が共産党の習慣のようである。何か、党内での基準があるのかもしれないが、他人の発言を紹介する際に、一般的に言ってそれはあまりよいことではない。
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