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2013年5月21日 (火)

額田 勲「孤独死 被災地で考える人間の復興」岩波現代文庫2013 その第一部から

ストレスに満ちた4日間の東京―仙台出張を終えて、職場に復帰すると、かってインディアナ・ジョーンズを押しつぶそうと迫った大きな球の様な業務に追いまくられる二日間が病院では待っていた。

それも、一段落して、ようやく何かを書こうかと言う気になった。

上記の額田 勲「孤独死 被災地で考える人間の復興」岩波現代文庫2013は額田先生の数多い著書の中でも評価の高い1999年の「孤独死ー被災地神戸で考える人間の復興」岩波書店の単純な復刊ではなく、その後の文章を集めた第一部と、1999年の本が「今、福島で活動する医師の多くがこの本を読み、自らの活動の参考にしている」ことを報告する東大の上 昌弘特任教授の解説が加わったものである。

上氏は、「孤独死」を2012年8月に読んで、著者にぜひ直接会いたいと思ったが、額田先生はその直前の2012年7月12日に亡くなっており、その思いを果たせなかったことも書きつけている。

そういう本である。ここでは特に第一部についての感想を述べておきたい。

第一部は、主として、高齢者の市民社会の中での在宅独居死と、中・壮年の低所得の慢性重症疾患患者の「孤独死」との区別を強調しているように思える。

阪神・淡路大震災の仮設住宅に特徴的に見られたのは後者である。それはアルコール依存の合併も特徴的であり、医学的な死に「社会的な死」が先行して生じるものだった。そういう意味で防ぎうる死であったし、防ぐと言う意味では、独居高齢者に対する安否確認とは全く別のアプローチを必要としたのである。

その考えは遺稿となった「東日本大震災後の『孤独死』を防ぐために」20119.に著しく現れている。東日本大震災の被災地で同様なことを生じさせてはならないという額田先生の最期の思いが溢れている。

しかし、冒頭の「『孤独死』は、いま」2010は、独居老人の孤独死を、1999年に問題となった被災地の孤独死と表裏一体で連続したものとして捉えている。

独居老人の孤独死は、実際には低所得で要介護リスクの高い一人暮らしの高齢者の孤独死であることが多く、これを含む在宅死の増加を在宅ケアの質の向上の指標とする愚かしさを額田先生は弾劾して「自宅での看取り率」を競う傾向をきっぱり否定している。

雑誌世界に掲載された「『いのち』の現場から」2005で書かれているように

「仮設住宅で孤独死に追いやられた被災者を単なる独居死だと決めつけるのは、心ならずも不幸な死に様を強いられた人間に対する冒涜だ」

と行政主催シンポジウムのフロアから叫んで行政幹部たちを黙らせた(10ページ)額田先生の姿勢は、2010年になると変化を見せて、高齢者の独居死を、被災地の「孤独死」と連続するものと捉えるようになっていたことが分かる。

しかし、2011年、東日本大震災後の状況の中では、ふたたび、両者の間の違いを峻別するかのような姿勢が現れている。

したがって、この第一部は僕にとって若干混乱させられるものであったのだが、おそらく貧困高齢者の独居死と、仮設住宅でのアルコール依存の果ての「孤立死」のあいだに連続を見ていた額田先生が本当の額田先生だったろうと言う気がする。

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