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2013年4月 2日 (火)

「地域を病棟化する」  「現代の在宅医療は入院医療の延長線上にある」「病院門前町を作るべきだ」は果たして正しいのか?

医学界新聞2013年1月7日号。

元厚生労働省事務次官で、今は天下りして東大の特任教授になっている辻哲夫氏は「地域を病棟化する」という在宅医療の展望を語っている。

産業医大の松田晋哉氏は、フランスの「在宅入院」のような「入院治療の延長線上としての在宅医療」を強調しようとしている。彼が目指しているのは「病院門前町」である。

これは、今後の在宅医療の姿として妥当なものなのか?

これでは、高齢者がどれだけADLが低下しても一個の人格として社会参加する、それを重要な要素としてまちづくりを進めようという僕たちの思いとはまったく相容れない。

医療従事者側から患者を見下ろした「上から目線」の現れではないだろうか。

「地域の病院化」とは、資本が厚生労働省を支配し、厚生労働省が医師を支配し、医師が地域と患者を支配しようとするヒエラルヒーの言い換えに過ぎない。

病院には「患者の権利宣言・章典」があり、それがそのまま在宅にも適用されるから大丈夫という反論があるだろうが、それは施設の利用者として「施設側から与えられる」権利保障であり、まちの主権者としての権利保障ではない。

患者の権利も不十分なとき、患者家族の権利もまた不十分でしかありえない。

したがって、僕は善意の医師が言う「患者の家は病室、町の道路は病院の廊下」にも否定的にならざるをえないのである。

自分の家を、医者から勝手に「ここは病院の病室と同等です」と宣言されて感謝を強要されるのもたまったものではないだろう。

入院しているのと同じ安心感を与えたいという医師の善意を否定するものではなく、その善意は別の表現を必要とすると言いたいのである。

治療に偏重するのでなく、生活を支えることを第一にする、という趣旨をもっとよく表現しなければならないのだ。

家並みの中に、目立たず、しかし、確実に「埋め込まれた」医療・介護サービスの姿こそ僕たちがめざすものである。

まちづくりの中心に病院が座らなければならないわけではない。あるいは座ってもいけない。

誰が中心というのでなく、平等な関係で協同するということが、しっかり自覚されなくてはならない。

*若月俊一先生が生前唱えていた「メディコ・ポリス」は「病院門前町」とはどう違うだろうか?

**松本市の神宮寺住職の高橋卓志さんが浅間温泉を改造して「ケアタウン浅間」を作ろうとしているのは、医師が主導しない、住民が作る「ケアタウン」として「病院門前町」の対極にある気がする。

***「病院の延長としての在宅」ではなく、「自宅の延長としての病院」であれば理想的だ。

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