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2013年4月29日 (月)

川北 稔 「イギリス近代史講義」講談社現代新書2010

「主権回復の日」などという、戦前の天皇主権と戦後の国民主権を連続させる歴史の捏造行事が開かれた4.28は、ゆっくり歴史の勉強をすることにした。

講談社選書メチエ「ウォラーステイン」、岩波ジュニア新書「砂糖の世界史」
を書いた阪大の川北 稔さんの「イギリス近代史講義」講談社現代新書2010。書き下ろしでなく、聞き書きなので、分かりにくい感じだが、知らないことがたくさん出てくる。
例によって○は不正確な引用、*は僕の恣意的な感想である。
○歴史の捉え方で納得したのは「歴史を『国民国家』単位で把握し、『国民経済』の段階的発展を想定する歴史観、つまり『一国史』的発展段階論そのものが間違っている」ということ。217ページ
*歴史においては『 』で囲んだものは実は存在しないのではないかという大胆な提起である。
*もちろん、現実の権力は、いわゆる「国民国家」の中に存在しているのであり、政治的闘争も、この単位を無視して行って勝利できるはずがない。国境を超えるマルチチュードを革命の主体だなどとするネグりの説を僕が信用しないのはそのためである。
*しかし、歴史には国境などない。歴史は波のように国境を軽々と越え、きわめて不規則な動きを示すものなのだ。
○国別の産業革命などもない。世界史的な産業革命が一定期間にわたって起こったのである。
繊維産業を中心とする第一次産業革命はイギリスから広がっていったのだがが、重工業を中心とする第二次産業革命はドイツやアメリカから始まっていったのである。
*日本にはその波がほぼ同時に到達する。
*したがって、ドイツや日本の第一次産業革命はいつで、第二次産業革命はいつだという議論は無用なものなのである。
*このように、世界史を一つのものと捉えれば、明治維新が完成した市民革命だったかどうかなどという講座派と労農派の議論は無駄である。
*市民革命は、1688年に小さな波だったイギリスのピューリタン革命が世界中に広がり、1789年フランスでより大きな波となった。極東には1868年に伝わったがかなり弱いものだった。ロシアに伝わって生じた1917年の波は、変形されて大きくなり世界中に送り返された。
世界は今もその波に洗われ続けている。
* ここで、全く余計な話になるのだが、井上章一「日本に古代はあったのか」角川選書2008年も、川北さんに影響されているものではなかっただろうか。二人とも関西の人である。
井上さんの意見の中で面白いのは次の所である。
中世の波が漢帝国崩壊後の中国から届いて飛鳥時代に日本に最初の国家が成立する。だから、日本の国家は最初から中世=封建制の国家としてスタートするのである
その後10世紀の宋に始まる近世が日本に届いて完成するのは15世紀の応仁の乱である。その後から明治くらいまでが日本の近世で、庶民の生活様式もこの間ほとんど変化していない。
したがって、日本の中世=封建革命は1185年源頼朝の鎌倉政権樹立から始まって1600年の徳川政権の確立まで400年も続いた(不破哲三)のではなく、それは局地的な近世革命とその後の成熟過程だったのである。
*もちろん、これによって、一つの革命は最低数百年を要するものであり、社会主義革命もその例外ではないだろうという不破さんの主張の妥当性は影響を受けるものではない。
結論は「われわれにとって問題なのは(一国経済史的な)成長妄想だ」「国力の衰退で不幸になった国民はいない」というもの。
これが冷静なサッチャー批判に行きつくので、日本の現状を考える上でも有益である。

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