鷲巣力「『加藤周一』という生き方」筑摩書房2012/・・・晩年のカソリック入信こそ実は大事件だった・・・木梨軽皇子と軽大娘皇女に関しての大江健三郎氏のちょっとした勘違い
2011年10月10日に僕は鷲巣力「加藤周一を読む 『理』の人にして『情』の人 」岩波書店2011の記事をこのブログに書いている。
振りかえって、混乱のただなかにいたはずの僕が、普通に文章を書いているのに驚きもするのだが、標記の本はその続編である。
昨日買って今日には読み終えてしまった。
なるべく重複しないように努めたと鷲津 力さんは書いているが、相当重複しているのであっという間に読むことが出来てしまったわけである。
新たに知ったことはおいおいノートとして残しておこうと思うのだが、僕が絶対に加藤さんにかなわないと感じたことは313ページに書いてあった。
「私にとってほんとうであったことは、おそらく他人にとってもほんとうである。
誰でもどんな環境のなかでも美しい時間をもちうるし、そのひとにとってかけがえのない対象が私に測り知れない形で存在するはずだ。
したがって人々がそういう時間や対象を持つ可能性を破壊すること、ことにそれを物理的に破壊する死刑や戦争に私は賛成しないのである」(文章は一部改変)
自分にとって美しいもの、大切なものを守り抜くことは、ナチスに協力した大指揮者フルトベングラーや、大東亜戦争を消極的にでも賛美した[大]文芸評論家小林秀雄にも、あるいは無自覚な僕にもできなくはないことだろうが、そのことへの思いが自分を超えて、他人にとって美しいもの、大切なものに自然に向かうことは、まだ僕が到達している境地ではない。
しかし、そうでなければ本当の反戦の立場には立てないのである。
〇加藤が晩年カソリックに入信しルカという受洗名を与えられたことはよく知られているが、その意味がこの本で初めて明かされている。
それは「カソリックであった母や妹とともに死後の世界にいたい」という動機、主として妹への愛によるもので、カソリック的世界から苦闘の末から逃れ出てきた妻、矢島 翠には耐えがたい行為だった。鷲津さん自身も、加藤さんの実妹への愛に驚いたと書いている。
「読者を裏切るものだ」という矢島 翠の激しい抗議も聞き入れられなかった。その結果、矢島 翠は回復することのない深い喪失感を抱えたまま約1年後に死亡するのである。
加藤周一の晩年をきわめて陰影深くしているこの事件こそ、鷲津 力さんが書きたかったことに違いない。
*今朝、僕はふと本棚のなかで目にとまった菅野昭正編「知の巨匠 加藤周一」岩波書店(2011.3.10刊)を取り出して読みなおしてみた。
驚いたことに、そこにある大江健三郎「いま『日本文学史序説』を再読する」のなかに、上記のことに響きあう部分を発見した。
表面的には「古事記」に残っている古い短歌の美しさを加藤さんが感嘆しているという話である。
それは近親相姦の罪に問われて、大江さんの故郷の松山に流されて心中する皇子と皇女の間に交わされた歌で、もはや歌垣などで集団的にうたわれるものでなく、きわめて個人的な情愛の詩である、という加藤さんの説を大江さんは紹介している。
これはおそらく木梨軽皇子(きなしかるのみこ)と軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)の話だろう。
ここで大江さんが間違っているのは、二人を異母兄妹と説明したことである。そうならば罰せられることはない。二人は同じ母を持つ兄妹だったので流刑にあったということになっている。
僕が気にするのは、加藤さんが日本で初の美しい個人的な情愛の詩としてこの二人の短歌を紹介したときの彼の潜在的な意識ということである。
**大江さんは、講演で結構勘違い発言している。第五福竜丸乗組員の生き残りの大石又七さんの名前、木下順二の戯曲の中の有名な台詞の出典作品など。その程度の間違いは当り前のことだが、あまりに有名人なので、片言隻語が活字になるから目立ってしまう。気の毒である。
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