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2013年3月31日 (日)

Le Monde diplomatique - 英語版 April 2013 「チャベス死後のベネズエラ: ブルーな世界の赤」

Le Monde diplomatique - English edition  April 2013で
「チャベス死後のベネズエラ: ブルーな世界の赤」を読んだ。http://mondediplo.com/2013/04/02venezuela
印象的なところだけを抜き書きしておこう。*は僕の意見である。

◯3月5日に亡くなったチャベス大統領はラテンアメリカを変革する運動を始めた人だった。彼は最初から左翼だったが、政権についている間にさらに左翼的になっていった。それは、大抵が反対の方向に行く世界の多くのリーダーとは大きく違っていた。

*政権獲得後により左翼化したのはキューバのカストロも同じだが、カストロの不幸はソ連が健在であったことであり、チャベスの幸運はソ連が消滅していたことである。それほどソ連と中国は世界の左翼にとって災厄でしかなかった。ただ、それは、国際的にみて言えることで、国内でどうだったかは分からない。ソ連崩壊後のロシア人の寿命の短縮をみれば、ソ連もそれなりに社会保障を発達させていたのかもしれない。

◯今、ヨーロッパの街角でウズベキスタンの大統領、サウジアラビアの国王、デンマークの首相・・・これらは大きさも人口も富もヴェネズエラとほぼ同じ国のリーダーなのだが・・・・の名前を訊いても誰も答えられないだろう。しかし、チャベスの名前は誰でも知っている。

◯最初は、チャベスの側近の誰も武力で政権を取るべきだという考えを変えなかった。

議会主義に陥ることは結局は自分たちに災いをもたらすと考えていた。

しかし、彼らは間もなく中産階級の憤激も選挙でチャベスに勝てないばかりか、中産階級に罠にしかけられないようこちらが憲法を改定するのも妨害できないことを理解して、議会を使っての革命に向かうことにした。

〇これまでの進歩的な指導者たちは、社会経済的な改造に乗り出したとき、国民のエンパワーメント、政治参加という発想を持たなかった。

それこそが根本的な改革を呼び起こすし、それまでの権力者を怯えさせるものなのに。

チャベスがやったのはそのことなのだ。国民のエンパワーメント、政治参加こそ彼がしたことだ。

エリートたちを憤慨させたのは、チャベスのイデオロギーではなく、この行為だった。

〇チャベスの言葉は「階級闘争」が頻発されるなど過激だが、行動は比較的穏便だった

◯キューバが観光客誘致のためゴルフコースを作っていたときに、ベネズエラはホームレスに住居を与えるためゴルフコースを奪い返していた。

◯ チャベスの政治は貧困を半分にし、極貧を70%解決した。ベネズエラは、この地域でもっとも平等主義的な国になった。

◯チャベスは労働者が攻略して手に入れた旧い国家制度に平行して、労働者評議会と地域評議会を基礎にした新しい国家制度をおこそうとしていたのである。二つの国家制度は共存し相互に影響を及ぼしあった。

◯チャベスはオイルマネーに頼りながら、経済の多様化を進めようとしたが、それは「車を走らせながらタイヤを交換しようというようなもの」くらい難しいことだった。チャベスがどんな困難なことに挑戦したかを理解しないといけない。

◯1973年、アメリカの国務長官だったキッシンジャーは、チリのクーデターを、「ピノチェトは経済と民主主義の間の選択で経済を選んだだけにすぎない」と正当化した。ならば、チャベスが同じ選択で民主主義を選択したことを誰が非難できるだろうか。

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