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2013年3月20日 (水)

雑誌「」2013年4月号 渡辺 治「第二次安倍政権論」・・・および共産党用語「自力」について

大半はメモ。*は私の意見。

Ⅰ 安倍政権論

1 三つの柱

①構造改革路線の再起動。ただし、小泉流でなく、福田・麻生に似た漸進路線=アベノミクス。

公共事業への大規模支出のための財政出動で景気回復演出するが、10%では足らない消費税増税と社会保障の残酷な切り込みが不可避になる。「社会保障は自助、共助、公助のミックス」だという定義のもとで、公的責任を縮小する。生活保護費削減はその一歩に過ぎない。

日本のグローバル企業の市場作りのためにはTPP参加と原発輸出が二本柱。原発輸出のためには原発再稼動はどうしても必要。

②米国追随の軍事大国化再起動。矛盾に満ちた作戦になっている。

財政困難で防衛費も削減しなければならないアメリカからの軍事分担要求のため、オスプレイも購入し、11年ぶりの防衛費拡大。解釈改憲で集団的自衛権容認、海外派兵の道づくりもする。それに尖閣、北朝鮮問題を利用。しかし、尖閣問題の激化はアメリカの中国包摂戦略には都合が悪い。

③新自由主義による競争激化で格差・貧困が増大して分裂した社会に対し、「新保守主義」での国民再統合を図る。

しかし新保守主義(*=佐伯啓思らのコミュニタリアニズム)の反グローバリズム、反新自由主義という路線はとれない。

天皇の元首化や家族の強調。いじめ問題の利用。

厚生労働省が、健康格差に言及し、ソーシャル・キャピタル強化を言うのもこの一環か。

**大阪の橋下は新保守主義による社会統合という視点を持たず、競争美化一本槍である。

 2 改憲戦略

 1の三本の柱の総仕上げとしての改憲構想。改憲解釈による自衛隊海外派兵と9条改憲という二段階戦略である。9条明文改憲は現在の政治的な力では実現できないとしても、96条改憲は実現して道を開くつもり。公明・民主は9条改憲には慎重だとしても、96条改憲には賛成するだろうという見込み。

Ⅱ 新自由主義・改憲を阻む国民の運動

1 この間の運動の二つの教訓

①革新・「リベラル」をはじめとした大きな国民的連携の可能性

 ←沖縄、被災地、東京の革新統一志向地域(中央線沿線)での前進からの教訓

②構造改革で経営を破壊されながら、なお保守に依存している層との連携の必要性

 ←共産党が強いはずの東京の下町での伸び悩みからの反省

2 国民連合の展望

①原発、TPP、消費税などでの一点共闘をつなぎ合わせていく

蝶番(*民医連的に言うと、「かけはし」)の役割を果たす、政党や組織の重要性

②改憲反対では独立したより大きな国民連合がもう一つ必要

そこには二つの要素が必要

ⅰ)九条の会のような、個人的で、ゆっくりと広い主題で学習会を積み上げてゆく運動

ⅱ)情勢変化に機敏に対応する政党、団体の運動・・・これを九条の会に期待すると、九条の会の幅が狭くなり、その民主的運営も壊される

Ⅲ まとめ

安倍政権は日本における新自由主義の第3段階。

①橋本・小泉政権や②麻生・福田・民主党政権のどちらとも違い、A斬進的新自由主義、B軍事大国化、C新保守主義という、(*相互矛盾・内部矛盾の多い)戦略の組み合わせを特徴としている政権である。

国民的連合を作ることができれば新自由主義と軍事大国化を終わらせることが可能である。その第一歩が夏の参議院選挙だ。

【以上とは無関係に、渡辺さんのこの文章を読んでいて思ったことを一つ書いておくことにする】

僕は共産党が「党の自力をつけよう」と書くのに違和感を感じている。

基本的に浄土真宗文化の中で幼少期を送った僕は、「他力」と「自力」を区別することを祖父から良く教え込まれていた。
...
他力は、阿弥陀如来があるとき人間全員を救おうと決意した、その思いが伝わってくることを言う。「他力」の「他」は阿弥陀如来のことである。力は、彼の願いがつくる「力の場」である。

一方、自力とは、自分の努力で悟りに向かう有様を指している。禅宗の厳しい修行はそのためである。

浄土真宗派だった幼児期の僕は、あがきにも似た自力に頼らず、ひとえに阿弥陀如来の思いを受け止めることで救われたいと思っていた。本当にそういう子どもで、悲しいことがあると「南無阿弥陀仏」といっていた。いまは言わない。

いつか自民党かどこかの政党が「国防はアメリカという他力本願ではいけない」と言い出した時、その言葉の使い方は違うと、浄土真宗は抗議したはずである。他力というのは、そんな俗なものではないのだ。

一方、共産党が自力によって何かをなそうというのも無理がある。本来は仏教用語である「自力」を使うことによって、元来、統一戦線を作って「他力」で社会を前進させようとする党の真の意図を歪めてしまっているのである。

そんなことを思いつつ、雑誌「」4月号 渡辺 治「第二次安倍政権論」75ページ~ を読み始めたら「自民党の『地力』を示す比例代表選挙の得票率は、大勝利した2012年12月の総選挙でも、大敗北した2009年の総選挙からみて得票率で1%しか増えていない、得票数では220万票も減らしている」とい記述が目に飛びこんできた。

その記述自体は、繰り返し学習したことなのでなんでもないが、「自力」でなく、『地力』という普通の言葉を渡辺 治さんは使っているのだ。

これが、だいたいの人間の言語感覚というものである、と妙に安心した。
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