雑誌「月刊地域医学」2013年1月号 特集「岐路に立つへき地医療」:総説「へき地医療からの発信」山田隆司
どういうシステムを作れば最良の総合診療医を民医連が育てられるのかを考えて、ここのところずっと悩んでいる。
おかげで、病気をしないだけが唯一の取り柄だった僕なのに、しつこい下痢が続いたり、腰痛で歩けなくなるという事態にもなった。
そんなときに、ヒントがいっぱい詰まっている上記の文章にぶつかった。筆者は自治医大系の地域医療振興協会の理論的主柱であり、「月刊地域医療」編集長の山田隆司氏である。
山田氏の結論を思い切り単純化すると、へき地医療こそ総合診療医を育てる理想的な場所であり、日本のなるべく多数の医師が、苦労も喜びも多いへき地医療を分担しあうような制度を考えよう、というものだった。それが優れた総合診療医を多数生みだす最も有力な方法でもあるのだ。
その提案はけっして突飛なものではない。
僕自身は広島県随一のへき地に生まれへき地医療の恩恵には与ったが、自分自身はへき地医療に従事したことはない。しかし、例えば、東日本大地震の被災地の支援ににごく短時間赴いた時、そこにあったのは、へき地医療そのものだったろう。また、夜間は自分だけが診療中の医師であるような地区で次々とくる救急車に対応していた時もへき地医療に似ていただろう。
へき地医療に近い場所で働いている医師は意外にたくさんいる。この人たちがその「へき地性」に自覚的になって力を合わせれば、最良の総合診療医を生みだす場ができるに違いないと思う。
では、山田氏がどんなことを書いているのか、ざっとまとめておこう。例によって○は恣意的な引用、*は僕の無責任な感想である。
○「へき地医療から学ぶもの」
へき地の医師は逃げられない。自分の得意不得意に関わらずすべての健康問題に対応することを求められる。それぞれの能力も経験も違う離島の医師が等しく患者に提供できるものは、自分の能力の範囲で最善を尽くす誠意と覚悟である。
*逆にいえば、都会地の医師も、患者のすべての問題から逃げないという覚悟を決めれば、へき地の医師の姿勢は幾分かは学べるだろう。
一方でへき地の住民は気に入らないからといって他の医師にかかることもできない。住民が見出すのは、医療の限界、この地に生まれた自分の宿命、この地に赴いてくれた医師への感謝だろう。
*この住民にある最も価値ある態度は「医療や医師を使い捨てにしない」ということである。
以上のような制約の中で繰り返し付き合うことで、へき地の医師と住民の間には相互理解が深まり、関係性も構築される。
そこにあるのは、自由な選択の末に生まれる信頼ではなく、お互いの我慢と受容である。
*いいかえれば「寛容」と「参加」なのだろう。
へき地医療における医療の質は、医師の総合診療医機能×地域住民との信頼関係=物質的に限定された条件の中での住民満足度で示される。
へき地は質の高い総合診療医をはぐくむ日本に残された唯一・最高のフィールドである。
*民医連は自信を持って自分たちの病院をこう言い切れるだろうか。
○「望まれる医療システム」
そのへき地医療がいま崩壊しようとしている。それは、医療全体の崩壊の部分現象である。
*山田氏は、ここで医療崩壊の原因を、「医師や医療提供体制の偏在」、「過酷な勤務を公平に担おうとしない医師側の連帯心や気概の欠如」、および「医師を勝手に選択し使い捨てにする住民の姿勢」の3点に見出そうとしている。その奥にある医療保障の全面的発展を阻む政治を改革するということは、なぜか彼の視野には入らない。
*実はよく見えているのだろうが、保守政治の破綻をとりあえず糊塗するために作られた自治医大グループのリーダーとしては、大胆には発言できないのかもしれない。
この医療崩壊を解決するのは、「専門的な高度先進医療こそ質の高い医療だ」、「一人の医師の意見だけでは安心できない、セカンド・オピニオンを必ず聞くべきだ」という国民意識の改革である。
「まず目の前の医師を信頼し、その医師を広い医療世界の案内役にする」という姿勢が国民には必要だ。
*この章後半では、山田氏はさらに混迷状態に入っている。医療保障を縮小しようとする政治の制約を打ち破って、住民と総合診療医が手を握って(評議会を作り)、高度先進医療も含んだ地域医療全体を下からデザインしていくという展望は彼の中には生まれない。
○「へき地医療のこれから」
へき地が総合診療医の育成に理想的な場所であるということはすでに述べたが、医師不足に直面した地域中小病院もへき地に似た状態になったがゆえに総合診療医の育成の拠点に相応しくなっている。その立場から見れば最大の医師育成機関とされる大学病院は総合診療医の研修には適当でない。
*ここで、山田氏は、自分が最初に提示したへき地医療の大事な側面を見落としている。それは住民・患者の「寛容」と「参加」の問題である。これがなければ、総合診療医育成もないのではないだろうか。
そこで、へき地医療に一生をかけなくてもよい、へき地医療を自らのキャリア形成の一部に組み込む医師の大量出現が望まれる。
これは救急や産科、小児科、外科など成り手がいないため困難に直面している領域を多くの医師の関わりで担っていくという姿勢にもつながっていくだろう。
*こうして、すこし仔細に山田氏の書いていることを追ってみると、その主張は幾分陳腐だという感もしてくるのだが、最初に立ち返って、「へき地医療こそ最良の総合診療医を作るフィールド」であり、「へき地医療を経験することを多くの医師のキャリア形成の中に組み込むことは、多数の優れた総合診療医を作り、同時にへき地医療の崩壊も救い、さらには他の困難領域に協力して挑戦する医師集団を生むだろう」という主張自体はやはり傾聴に値する。これに協力しないのは卑怯者だろう。
*民医連も医師育成の中に実際にへき地医療を組み込むか、山田氏にとってへき地医療のなかでしか得られないと見えているものを都会地の医療の中で意識的に作り出せるように努力しないといけないだろう。
*そういう実践的な姿勢と、医療保障全体を下から改善していく運動、政治変革への希望とを結びつけていく点が、山田氏の主張を包含して発展させる民医連の役割のようだ。
*山田氏の発言からもう一つ民医連は学ぶことがある。それは、理想的なシステムの中で最良の医師が育つのではなく、逆に崩壊寸前の困難な状況こそが最良の医師を作り出すのだ、ということである。そして、それをシステム化しようというのが僕たちだというのはあまりに弁証法的すぎて難解かもしれない。
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