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2013年3月18日 (月)

柄谷行人『哲学の起源』岩波書店2012

今の自分の課題と関係なさそうで、あまり食指が出ずに放っておいたのだが、「紀伊国屋じんぶん大賞」をもらったというので読み始めた一冊。

分かりやすいので、すぐに読めた。

分かりやすい分、各所からいろんな疑問が呈されているらしい。

東日本大震災や福島原発事故後の決定的な国民意識の変化を全く反映しない日本の現在の選挙制度を見ていると、代議制による間接民主主義は、背後にある残酷な階級支配を合理化する欺瞞的な制度にすぎず、ないほうがましかもしれないとさえ思える。

この代議制による間接民主主義を絶対視せず、無視されているに近い直接民主主義をデモやタウン・ミーティングや各種の評議会の実践によって拡大することから、民主主義全体を再生することができるというのが、今の大方の人の意見だろう。

柄谷はこういう意見をさらに超えて、民主主義に対峙する「無支配(イソノミア)」という概念をより優れたものとして提唱し、それが現実として存在した、ギリシャ時代のイオニアという地方の都市群と、そこで活躍した哲学者を提示する。

イソノミアという概念は、僕には目新しいが、僕も文庫本を持っているハンナ・アーレントの「革命論」での提唱をもとにしているらしい。

そういうことを知ったり、全く知識のなかったギリシアの哲学者群をイソノミアに対する態度で系統づけて知っていくことは読書の楽しみを十分味わわせてくれた。

しかし、ギリシャのアジア側の対岸であるイオニア地方にギリシャ本土から独立した自由な都市群があったかどうか、そこでイソノミアという概念が支配的であったかどうかは専門家の目から見るとなんとも言いようのない怪しいことらしい。

さらに、紀元前5、6世紀の世界に同時多発的に勃興した普遍宗教とイソノミアがいずれも「互酬と贈与」の交換関係の新たな段階での復活であり、イソノミアのほうがより徹底したものであり、現代の民主主義の欠陥を超えていく指針となると暗示されていくのはやや強引過ぎるという気がする。

しかし、何といっても読んで面白く、心躍る本であることは変わりない。

主張そのものはまだ何かの出発点に過ぎないという気がしたが。

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