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2013年2月10日 (日)

「患者の立場に立つ」ということの定義、合わせて「療養」の定義

最近、もの忘れが激しいので思いついたことはメモしておかないとすぐに忘れる。

ブログはメモの道具として最適である。

ただ、もし定期的に読んでくださっている方があれば、ブログ主の片言隻語に付き合わされるわけで迷惑なことではあると思う。

その迷惑は顧みずに、書いておこう。

「患者の立ち場に立つ」とは民医連の医療理念の一つで、患者への共感など情的なものも含むのではあるが、WHOその他の後押しで社会疫学が発展し、その成果から「健康の社会的決定要因 」(以下SDH) が次第に明らかになってきた現時点では、以下のように定義するしかないと思える。

対象が健康を害した患者であるから、SDHも中立的に表現せず、「健康の社会的剥奪要因」以下SDHーD と表現することにする。

定義:「患者の立場にたつとは、患者のSDH-Dをより深く認識して、ともに軽減しようという姿勢に立つこと」

*あわせて、患者が「受療」を超えてみずからの健康回復に努めることを「療養」と呼ぶなら、療養は、SDH-Dの克服過程と言い換えることができ、それが患者と医療従事者の「共同の営み」の本体であることは自明の理に近く、その目指すものこそ健康権の確立なのである。

定義として自己撞着めくが、健康権とは、国際人権規約などに表現される文言というよりは、SDH-Dの克服運動の目標とされる正義や公正や平等と深く関連した倫理的かつ実践的な概念であり、そこで達成されるものの中にQOLや主観的な幸福感も含まれている。

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