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2013年2月 1日 (金)

在宅医療が展望する高齢者の潜在能力、公正、平等について・・・今日の飛行機で気づいたこと

いつもの山口宇部から東京に向かうJAL機のなかでで二つの発見があった。

①富士山の大きなカルデラと外輪山は北側1/2しか残っていない。そういう意味では富士山は不完全な阿蘇山である。不完全なカルデラの中に富士五湖があり、外輪山の外、北西に甲府があり、西に冨士川がある。

まぁ、こんな事は発見とは言わないのだが。

②居住について

すべての人に見苦しくない住居が与えられてホームレス状態がありえないということは大前提である。

それに至る過程として、僕たちの立場からは、障害高齢者の居住の問題が解決されなければならない。
ケアなし住宅(自宅)ーケア付き集合住宅ー高齢者施設
すなわち、この3者の間にある障害高齢者の生活機能の差をなくしQOLにおいて平等にすることが当面の優先課題ではないだろうか。言い換えれば、「施設化した自宅」「自宅化した施設」ということになる。

それに向かっての展望を示すのが僕たちが試みる在宅医療の充実であることは間違いがない。在宅医療が、上記の3者すべてをしっかりと支えることがなければ、3者間の平等はありえないからである。

在宅医療に代表される制度的社会保障と、非制度的・自発的な住民間の互助によって、この3者の選択が自由になることが、障害高齢者の基本的な潜在能力の形成そのものであり、その実現が公正と呼ばれるものである。
また、それが、高齢者が安心して暮らせる「まちづくり」だということになる。

貧困者を念頭においた、すべての人への見苦しくない住宅の提供という前提は、その先に可能性が見えてくるという順序になるのではないだろうか。

というのは、住宅の改善自体をケアと関係なしにそれ自体独立した建築物レベルの問題として追求することは、たとえてみれば、生活モデルとの連結なしに医学モデルだけで医療を進めるのに似た弊害があると思うからである。

生活を支える他者の力のないところで、バリア・フリーであったり、ユニバーサル・デザインがなされ、エレベーターがあったりしてもどれだけの意味があるだろう。むしろ、生活を支える他者の力によって、それらは実現されていくのである。

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