都立美術館「エル・グレコ展」・・・患者の苦しみを自分のものとするという負担感の一点では、どの時代の医師も同じなのだ
4日間の出張が終了。
後半2日間は評議員会だったので、執行部の末席にいる僕はひたすら聞き役、ときに、いやごく僅かに居眠り役である。そもそもここで執行部の発言が目立つようでは評議員会にならない。しかし、もう少し、活発な質疑応答があってもいいかもしれない。
前半2日間は大半は報告をチェックする役回りで、積極的に発言できたのは、2時間の短い会議でしかない。それも、提案しては婉曲に断られることが多かった。ぼくの提案が突飛だからだろう。
だいたい、いつもそんな風なのだが、全日程が終わると空虚感が襲ってくる。もちろん、持ち帰る宿題は多いのだが、それも遠いことに思えて気は沈む。
それをなんとかするために、たいてい、美術館によって地元に帰る。
今日は、都立美術館で「エル・グレコ展」をみた。
16世紀にヴェネツィア領だったギリシアのクレタ島に生まれ、35歳からはスペインのトレド(タホ川で三方を囲まれた丸い島のようなあの街だ)で活躍した。
自画像をみると、痩せているが賢くて堅実な職人風の人である。今日の評議員会で最後の挨拶をした東京民医連のI先生や、福岡のk先生に似ていなくもない。
カトリックの対抗改革時代に生きて、聖人やキリストの誕生の絵を多く描いている。聖人像の多くは自画像に似ている。キリストの誕生においては、マリアが極めて可憐な少女のように描かれている。一方、マグダラのマリアが官能的なのは、その後の女性像の先駆けのような気がした。
それから、一点だけ、同時代の医師の肖像があった。16世紀の医師と現代の医師の仕事の間にはほとんど共通性はないが、なぜか、この老医の表情には同じ職業に従事する者として共感を感じた。
それは何のためなのかをしばらく考えたが、患者の苦しみを自分のものとするという負担感の一点では、どの時代の医師も同じなのだと、冬晴れの上野公園からスカイツリーを見て帰りながら気づいた。
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