アマルティア・セン「社会的コミットメント(*仕組み)としての個人の自由」雑誌「みすず358号 (1991年1月)川本隆史訳
実は、「セン自身による<セン入門>として最良の作品」として、川本隆史教授からPDFでいただいたものである。民医連の理事会の合間合間に読み終えた。
この文章を筆頭に、ノーベル賞受賞でブームになる以前の時点でセンの論文集を川本さんが編むという話もあったが、実現しなかったとのことである。
「今訳すなら<潜在能力>という訳語は使わず、<ケイパビリティ(生き方の幅)>で通したい」と川本さんはいうが、僕がケイパビリティを最近は「個人が選択できる可能性の幅」と説明することが増えたのは、自然に川本さんの影響下にあったのかと納得した。
要約はあまり意味がないので、センが共産党支配下の中国をどう見ていたかがわかる部分を抜き書きしておこう。それだけでもきわめて興味深い記述がなされている。
*は僕の感想
①1958年から61年にかけて起こった死者2300ー3000万人という中国での大飢饉の原因の一つは
毛沢東政府の大躍進政策にある。
加えて3年にわたって苛酷な飢饉が続いているのに政策の基本路線が変更されなかったのは、
反対政党もなく、政治に批判的な新聞もなかったからである。
世界中の飢饉の陰惨な歴史を振り返る限り、出版の自由と、活発な反対政党を備えた民主主義がある国家においては、飢饉の発生を認めることは至難の技である。
②1979年の改革以来、中国の農村経済に市場システム導入の動きが高まり、農業生産性の大きな改善があったが、他方では公共的ヘルスケアの大きなシステムの衰退にもつながった。そのため、一人当たりの食糧と農業生産高が大きく伸びた1980年代初頭に、それまで持続されていた死亡率の低下がなんとストップする事態となった。
*今日格差がこれだけ苛酷となった中国では平均寿命はむしろ短縮しているのではないか?しかし、人口統計自体がなくてそれは確かめられないだろう。中国は厳密には形式的な複数政党制だが、実質的な反対政党がないということは政治をやはり腐敗させるのだ。
結論部分もまた感動的である。
③自己の利益だけを杓子定規に拡大して行くことに頭脳を用いる人間像、すなわち、「合理的な愚か者」モデルは気を滅入らせる代物である。しかし、そのモデルは正確ではない。
プラハの春、天安門事件、リトルロックの公民権運動、南アフリカの反アパルトヘイトの中で、人々を動かしていたのは、他者への配慮と理念への敬意である。
④差別、拷問、災害、貧窮の報道から支援の輪が広がって行くのは、人々が他者の困窮に責任を持って対応できる能力と傾向性を(*生得的に)備えていることの証拠である。
⑤そのような人間像を前提にすることで初めて、ケイパビリティ(達成される生活機能の可能性全体の幅)によって保障される個人の自由を社会的な仕組みとすることが正義を促進するものとなる。
そして、社会はそのような個人の自由がどれだけ達成されているかで評価されるし、ケイパビリティによって支えられる個人の自由も社会的仕組みとしてあるということが理解されるということになるだろう。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 雑誌 現代思想 6月号(2016.06.04)
- 内田 樹「街場のメディア論」光文社新書2010年(2016.05.11)
- 「『生存』の東北史 歴史から問う3・11」大月書店2013年(2016.05.10)
- デヴィッド・ハーヴェイ「『資本論』入門 第2巻・第3巻」作品社2016/3 序章(2016.05.04)
- 柄谷行人 「憲法の無意識」岩波新書2016/4/20(2016.05.02)
コメント