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2013年1月20日 (日)

仲人になる決意・・・一人一人が最小の統一戦線だ

何時の間にか年長者となったので、仲人業を始めることにした。

仲人と言っても、青年職員と地域の様々な市民運動とを出会わせる仲人である。そういう企画に頭を絞りたい。ローカル紙もその視点で隅々まで読みたい。

たとえば、山口民医連を退職して宇部の9条の会の運営に奮闘している先輩Aさんになども引き合わせたい。Aさんはお母さんの介護で大変なようなのだが、県連からA家に応援を送ってでも招きたい。

その結果、9条の会の世話役を自発的に一緒にやろうかと思う青年職員が現れることを期待している。

すでに何らかの院外活動に関わって活躍している職員もゲストにしたい。たとえば、車両部で運転手をしながら進歩的な地方劇団に運営に関わっている人の苦労話。その結果、劇団員になる人が現れてもいいし、鑑賞会員になるのもいい。

一方、山口パーソナル・サポート・センターのように、掲げる目的は立派でも、実際は天下り用の無駄遣いNPOではないかという疑念を持たせる市民運動もあることもわかる。

これまで「宇部学」と称して、県連理事会に様々な市民運動家を招いて短時間の話を聞いて来たが、それを発展させるものという位置づけである。

民医連に就職して、企業内教育カリキュラムに従っていれば、自然に社会進歩に貢献できる人になれる訳ではない。そこまでのカリキュラムは準備できないという限界性の見極めが大事だ。

職場の内外に亘って一市民として多面的に発達して初めて社会貢献に寄与することが可能になる。もちろんそれは本人の自発性が第一であるが、それを支援し、その成果を共有することで、民医連自体も新たなステージに達することができるのである。

よく考えれば、一人一人が最小の統一戦線なのである。

民医連は単なる経営体連合だから職員の個人生活に指図がましいことをいうべきでないという意見もわからないではないが、民医連が単なる経営体連合であることを超えて、本当の社会運動になるには、職員や医療生協組合員のそういう人間的発展に依拠するべきではないのだろうか?

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コメント

初めてコメントします。この間、なにかを検索していて、先生のブログに出会いました。かなり前までさかのぼって書いたものを拝見させていただき、共感するところ数多あり、感謝、感激です。
わたしはいま61歳。10年ほど前にパーキンソン病と診断され、病状がしだいに悪化、3年前に現役を退くまで、17年間、県労連の事務局長、その前は医労連や、民医連の県連にもおりましたし、もともとは青森保健生協の事務職員という経歴です。青森県にある津軽と青森の二つの大きな病院や地域運動にもさまざまな形で、とくに労働組合の立場から関わってまいりました。今は、青森県のパーキンソン病友の会の代表をさせていただきながら、おもに読書と同人雑誌への寄稿、パソコン相手に動かない手で考えたことを活字にしたりする毎日です。
野田さんの1月のブログの中に「若者と活動家をむすぶ仲人の役割」をはたしたいという一文が載っていましたので、簡潔にコメントしたいと思います。そんな形の役割をわたしもはたしたいと思いますが、そういう発想を受け止められる職員がどれだけ存在するか、おそらく皆無に近いのではないでしょうか。わたしの率直な実感です。もしかしたらわたしにはつかみ得ない鋭敏な感覚と知性を持った職員もいるのかもしれません。少なくともわたしが接してきた幹部職位や役員のなかに、先生が実践されている県連理事会の「勉強会」や仲人の意味を受け止めることができる人はごく少数だと思います。
わたしが知っている民医連や医療生協は「利潤追求」だけが先行するような組織ではなかったし、先生のいう「中間組織」としての運動論もしっかり持ち合わせている気概に満ちた人がたくさんいました。
民医連に働く職員の意識レベルの低下はなぜ、いつごろから顕在化してきたのでしょう。輝くようなまなざしを持っている職員を見るのはまれです。野田さんの生協ではそんなことはないのかもしれませんが、事務系幹部は口を開けば経営に関わる数値のことばかりです。少なくとも現場で必死に患者や利用者さんと向き合っている職員のやる気をそぐような政策や言動が目につきます
一例を申し上げれば臨時・パート・派遣労働者の急激な増大です。
主として経営上の都合による非正規職員の雇用割合も3割を超えるまでになっています。これほど多くの非正規職員が働く職場で職員同士の連帯感を作り出すのは相当難儀です。学習意欲も連帯意識も期待するほうが無理ではないでしょうか。時間外に学習会に出たり地域に出ることはかつては当たり前でしたが、いまや一度も出たことがないという職員も少なくないでしょう。
まずこうした経営実体と職場の実状を見ることが必要ではないでしょうか。理事会は襟を正して自らを振り返ることが必要です。本当にこれほどの非正規職員が必要なのか。全体の賃金水準を見直してでも、少なくともそういう議論をしてでも職員はすべて安定的な雇用形態にすべきではないのか。他を思いやる姿勢は欠落し、中間組織の一員であるという認識はとっくの昔に幹部自身が捨て去ってしまっているのではないか、と思わざるを得ない状況だと思います。
悲観的な話に終始しましたが、貧しくともロマンが語れるというような豊かな人間関係が根付く職場にしたいものだと思います。また、青年を含む少なくない職員が民医連の理念を体現すべく、そんな理想を持ってがんばっていると思います。わたしは内部で働いた経験もあれば県連にもいたし、非正規労組の職員といっしょに10年以上にわたって団体交渉にも参加してきました。いまは地域で医療生協の支部長もしています。先生がめざしている民医連や医療生協の職員像や医療観は、わたしが知っている現状とは乖離しているように思いますが、現状を正確に分析して見る必要があるのではないでしょうか。
わたしは、多くの青年労働者が職場で分断されていること、連帯していこうという意識感覚を作り出す前提が崩れていることに危惧を抱くと同時に、こうした現状をやむを得ないこととして放置し拡大していく職場に未来は語れないと思います。
 非正規労働者の増大という事実ひとつとってみても民医連における医療理念を内部からつき崩し、矛盾を拡大しているのではないでしょうか。
うつ病で;休職する職員も増えています。
もっと端的に言えば、職員と組合員の持っている力と可能性を引き出すという点で、その知力にも努力にも欠ける管理職と理事会をどうにかするのが先ではないかと思うのです。
わたしの指摘など視野に入れた上での考察かとは思いますが、野田さんの論考はわたしに多くの知的刺激をもたらしてくれました。感謝です。

投稿: 西崎昭吉 | 2013年1月27日 (日) 05時17分

西崎様 丁寧なコメントありがとうございました。ブログも拝見しました。

雇用のあり方も中心に様々な領域で民医連が変革を迫られていることは常に自覚しています。それは民医連理事会の共通の問題意識だと思っています。まだ模索の最中なのでなかなかストレートには表現されませんが、評議員会議案などの細かな表現に注意して頂くと見える部分もあるのではないかと思います。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: 野田浩夫 | 2013年1月30日 (水) 18時05分

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