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2013年1月10日 (木)

臨床倫理ノート

臨床倫理についてしばらく集中的に学ぶ必要が出てきたので、ここにノートを作ることにした。

①「臨床倫理」という名前とその役割には大幅な乖離がある。

実は「診療現場での総合的意思決定法」および診療実践の総合的な振り返りこそが臨床倫理である。

結局医療における意思決定自体と内省が臨床倫理と同義語ということになる

②それには、「医療が人間の社会的共同の典型的な表現」であり、「人間の社会的共同のあり方を論じることが倫理だ」という根拠がある。なお、人権は人間の社会的共同が個人にもたらすものである。

③診療現場の意思決定にどういう領域があるかを検討して洗練させたのが4分割法である。

領域はまずⅰ)医学的・介護学的な利益があるか ⅱ)患者の意向に沿っているか ⅲ)患者とつながる人の意向に沿っているか という3領域に分ける。

これによって分析的に検討した結論は、最終的にⅳ)患者のQOL・健康・幸福を大きくするか という検討で検証される。

④領域内の検討項目は充実させていかなければならない。

ⅰ)「医学的・介護学的な利益はあるか」 の領域では費用効果比較も必要だろう。すなわち医学生物学的判断と経済学判断の融合が求められる。

ⅲ)「患者とつながる人の意向に沿っているか」どうかの領域では法的・道徳な判断も含まれる。

⑤4分割法の言い換えとして、診療現場の意思決定は医学的決定+経済的決定+法的・道徳的決定+患者と家族の選好による決定の組み合わせからなるという言い方も可能かもしれない。

⑥ この中の道徳的意思決定部分を取り出して「狭義の臨床倫理」と呼びたい

⑦ それに対し診療現場での意思決定は「広義の臨床倫理」ということができる。

⑧ 病院に臨床倫理委員会を置くとき、その任務は以下の2点である。 

A:診療現場での意思決定と内省の方法の教育(広義の臨床倫理の教育)

B:法的・道徳的決定に関わる現場の疑問解決を援助(狭義の臨床倫理コンサルテーション)

⑨広義の臨床倫理教育は、人間性の深い理解という点で文学的体験にほぼ等しい。実は文学以外に人間性の深い理解をもたらすものはない。

⑩文学的によく準備された奥の深い視聴覚教材を使って繰り返し議論し続けることが広義の臨床倫理教育上、最も有効な方法である。

*具体的には服部憲司(群馬大学)企画監修の「ドラマで考える医療倫理」全8話を、一年間ぐらいかけて、一話づつじっくり時間をとって討論し終えれば、講義を聴く必要もなく、本を読む必要もなく、其れだけで十分な文学的な体験が可能となり、一応の医療倫理教育を修了することができる。

⑪現場でのカンファレンスは、倫理の実践そのものであり、教育とは切り離して考えた方がよい。

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