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2013年1月30日 (水)

D君の死

大学の同級生だったD君が食道癌で亡くなったと知らせがあった。

僕たちの年齢ではそろそろこういうことが普通になってくるのだろう。戦後の早い時代に生きた一つ上の世代に比べれば、塩分摂取量は少ないが、アルコールや煙草についていえば格段に潤沢だったろうから、食道癌も増えそうである。

D君とは教養部の寮で一緒だった。2浪していたので僕にはずいぶん大人に見えた。僕に民青に入るように強く勧めながら、自分は入らなかった。僕が民青になじめないと思って顔を出さなくなっていた時に交替するように加入して、一時教養部全体の責任者になっていた。しかし、その時期は短かった。

学部に進学すると、新聞だけ取ってくれる関係になった。6年のとき毎週のように下宿に訪問して一緒に民医連に行こうと誘ったら、いったんは山梨民医連に行くと決めたが、結局大学医局に残った。理由はよく分からなかった。大学の整形外科にいたお兄さんが強く反対したのかもしれなかった。

卒業してしばらくは会う機会ごとに政治的な姿勢を確かめる話をしたが、意見は一致していて、それどころか僕の活動にいろいろ注文を付けた。僕が生硬過ぎて医師仲間に受け入れられないという批判が大半だった。教養部での関係がそのまま続いて、僕の政治的な師のような感じだった。

奥さんの実家の医院を継承してすぐ止めて大学医局に戻り、あてもなく地方の病院を転々とするうちに、話がしづらい人になっていった。医師会の会合でたまたま胃瘻造設の困難例の話をしたら、「胃瘻なんか作るやつは医者じゃない」と突然に激昂したので驚いたこともある。同じ病院の若い勤務医からは、彼とうまく付き合えるかどうかがその病院に勤務できるかどうかの試金石になっているとも聞いた。ただ、医師になった姪ごさんだけはずいぶんかわいがっていたようだ。

こうして、思い出を書いていると、あまりD君に好感を持っていなかったように読みとれるが、そうではない。彼の生き方は、ありえたかもしれないもう一つの、すなわち alternative な僕の人生だったのでこのようにしか書けないのだ。

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