「クオリティー・オブ・ライフ」里文社刊2006年 第4章・・・「原発事故を恐れずに生活する」ことは基本的潜在能力だ
「クオリティー・オブ・ライフ」里文社刊2006年の第4章はウルフ・ガトナーというドイツの研究者が、第2章のセン「潜在能力と福祉」を論評しているのだが、1月5日東京への日帰り出張の帰途の機中で読んで驚いた。
ガトナーはセンの主張として基本的潜在能力だけは必ず平等でなければならないという点を強調しているのだが、同時にそれは途上国と先進国では自ずと違うと述べている。
そこで先進国の基本的潜在能力を構成する生活機能の一セットとして、意表を突くような以下の具体例を列挙しているわけだが、それは2013年の今日の日本から見れば、恐るべき正確な予言である。
◯水道水を(安心して)飲むこと
◯川や海で泳ぐこと
◯海で採れた魚を(安心して)食べること→◆水俣病で苦しむ恐れがないこと
◯原発事故を恐れずに生活すること→◆福島原発事故の被害者にならないこと
これに僕が何かを加えるとすれば
◆駐留している外国軍の兵士の犯罪に怯えないこと
がある。
こういう生活機能のセットが誰にでも保障されることが、センのいう基本的「潜在能力」そのもの、わかりやすくいえば潜在能力の現実化の前提なのである。
それは同時に基本的潜在能力の平等と同義語である「基本的人権としての健康権」の具体像でもある。
健康権は別の言い方でいえば、健康の社会的決定要因の否定的側面から自由であること、そして積極的側面が保障されているということを意味するのだから、水俣病や原発事故や米軍基地の存在の存在もまた健康の社会的決定要因なのである。
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