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2012年12月10日 (月)

物自体に直面して、僕たちは腹の底から笑いつづけることだろう

以下の文章は、僕が自分の別ブログとしてひそかに書いている詩のページにあったものである。先日、地元の同人誌に寄稿を求められて、書きためた作品は全くないと勘違いして掲載を断念したのだが、これを発見するとこれでもよかったかもしれない、と少し悔しい気がした。そこで、こちらのメインブログの方にアップしてその悔しさを紛らわせたい。

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人間の社会性とは、他人から承認されたいということでもあるが、そこで選ばれる戦略は二つある。

一つは他人の上に立つことであり、もう一つは他人から感謝されることである。

おそらく前者の戦略が自然には優位となりやすいため、人間社会は階層性を帯びやすい。

そのため猿でも人間でもボスをもった社会を作ることが宿命のように思われるほどである。

だが、それは宿命でもなんでもなく、ただの傾向に過ぎない。

科学、すなわち理性によって、階層格差を大きくすることが健康を害する、寿命を短くすると一旦人間が認識したときには、人間の主体性はその社会のあり方を変えることができる。

そのときの戦略は人間の社会性の後者の戦略、すなわち他人から感謝されることで存在を承認されたい、お互い平等で助け合って生きていくことを大事にする戦略・・・ポランニ―の表現を採用すると「贈与と互酬」の戦略・・・が採用されるのは当然である。

そういうオルタナティブな戦略を生得的に人間は持っているのだ。

自然発生的に優位な「他人支配戦略」に対し、人間が主体性を発揮しなければ発現しない「平等戦略」を対峙させて人間は社会を作ってきたと言ってよい。

ついでに言えば、自然発生的な戦略とはもう古くなってしまった人間の認識構造に囚われているものであり、主体的な戦略は「物そのものの世界が人間の硬直した認識世界の底を破って露出した時に生じること」であるとレーニンは考えていた、というのが白井 聡君が力説するものである。

中沢新一氏は、そのときレーニンは、人間がうかがい知れない海中の中から突然魚が釣り糸にひっかかって跳び出してくる時の感じに等しいとして、「ドリン、ドリン」という形容を持つ大笑いにとり憑かれたと言う。

人間は主体的に古い認識世界(不平等な階層社会を成り立たせているもの)の底を破って、物自体の世界、すなわち、平等戦略が有効な世界に直面することもできる。

それがレーニンの場合は1917年の蜂起であり、革命だった。

僕たちもいつかはその様に物自体に直面すれば、腹の底から笑いつづけるのだ。

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