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2012年12月24日 (月)

憲法13条「公共の福祉に反しない限り」の持つ意味・・・「その人らしく生きることを援助する」という時の難問・・マーサ・ヌスバウム&アマルティア・セン編著「クオリティー・オブ・ライフ」里文出版2006・・・「基本的・規範的」「潜在能力の平等」と言う考え方の必要性

「美しい国 日本」を唱える民族差別主義者であり、「同性愛者には遺伝の異常がある」と 言い放つマイノリティ差別主義者である、安倍晋三や石原慎太郎が政治の中央に進み出てきたことは、僕にもう一度、次のような医療倫理問題を考えさせることになった。

「その人らしく生きることを最後まで援助する」というのは民医連の看護の基本で、誰もが疑っていないスローガンだが、安倍氏や石原氏が万が一末期状態で僕たちの病院に入院してきたとき、民族差別主義者、障害者差別主義者である彼らの「その人らしさ」を最後まで支援すべきなのだろうか、ということを考えたからである。

そこで、僕は二つの架空のケースを考案してみた。

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事例1:高齢者Aさんは、戦前は朝鮮で官吏をしたこともある人だが、一生を朝鮮人差別主義者として生き抜いてきた。

 ところが、Aさんが末期状態になって入院してきたとき、彼の担当看護師は在日朝鮮人のBさんだった。Aさんは、そのことに激しく反発し、担当看護師の変更を迫った。

 Aさんにもその人らしく終末期を送らせたいと考えていた看護師長Cはその要求を受け入れて日本人看護師DさんにBさんとの交替を命じた。

事例2:やはり高齢者のEさんは、身寄りをなくしていたが、元来資産家で、美食家として一生を生き抜いてきた。

末期状態でEさんが入院してきた。もうすぐ何も食べられなくなろうとする時、担当の若手看護師Fさんが「いま、何が食べたい?」と聞くと、「最高級のフォアグラが食べたい」と答えた。

フォアグラを病院給食で準備することは到底できない。そこで若手看護師Fさんは、病院当局との難しい交渉の末、街のレストランから最高級のフォアグラの一品を取り寄せる手配に成功した。それを一口食べたEさんは「これでいつ死んでもいい」と涙を流した。その費用を払うのに十分な金はEさんの財布の中にあった。

看護師長Cは若手看護師Fさんの行為を「その人らしい終末期を演出した」と称賛した。

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まったく架空のケースだが、事例1でも、事例2でも看護師長Cの判断は間違っていると誰もが考えると思う。

「その人らしく生き抜く」ことを援助するというときのその人らしさからは、その人が持っている攻撃的な嗜好や贅沢な嗜好はあらかじめ除外されていると考えなくてはならない。

これを言い換えると、「その人らしく生き抜く」と言う時、そこでは「平等」が前提にされているということである。

しかし、常識的な嗜好の個別性は尊重されるのが当然である。

医療の現場には、平等でありながら、個人の多様性を尊重するという難問が最初から隠されていると思われる。

だが、何の平等かを明らかにさせたとき、その難問は解ける。嗜好の満足(別名 「効用」)の平等では絶対にない。

その答えは「その人の人間的発展・成長の可能性」の平等なのではないだろうか。その平等に照らして、それに逆行する攻撃的な嗜好や贅沢な嗜好は、実現すべき平等から除外されるのである

したがって「その人らしく最後まで『発展・成長していく』」ことの援助こそが民医連の看護だと言い換えるべきではないだろうか。

人間的発展・成長の可能性のことを「基本的・規範的な潜在能力」と呼びたい。その平等こそが、僕たちが物事を考えて行く上で前提にしている、あるいは求めている平等なのである。

ところで、「その人らしく生きることを最後まで援助する」という民医連看護のスローガンは、憲法13条の幸福追求権の実現を目指したものだと、よく言われる。

そこで憲法13条をもう一度読み直してみよう。

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

ここで、「公共の福祉」という言葉に注目する。僕たちは、これをこれまで政府による人権制限の根拠として挿入された悪い文言だと教えられてきたが、「公共の福祉に反する」もの「を「人間的成長の可能性の平等を破壊する」ものと読めば、これは必要な規範だったと思えてくる。

やはり、何の留保もなく「その人らしく生きることを最後まで援助する」ことを目標とはできないのである。

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以上若干難しい記述になったのでFacebookに要約を載せたものをここにもアップしておこう。

「人を援助する時、ある程度幅があるとしても、平等さを貫いて援助するという前提があるのだと思います。

反社会的的な要求の援助、高価すぎる要求への援助は、平等という視点から否定せざるをえません。

問題は何の平等かということですが、主観的な満足度の平等ではなく、より客観的な健康への可能性の平等ということになると思います。

したがって、「その人らしさ」への援助でなく、「その人らしい成長」への援助と考え方を変えないといけないと思うのですが。」

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