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2012年11月25日 (日)

アマルティア・セン「合理的な愚か者 勁草書房」大庭 健+川本隆史訳

11月22日、秋田市にある民医連の病院中通総合病院を訪問した。宇部からだと東京羽田での乗り換えを含めると6時間の行程である。飛行機に乗っている時間が2時間、待ち時間4時間というのは、僕の日常生活では考えにくい非効率さだ。

 

しかし、それだけ普段ではありえない読書時間があるということである。秋田での仕事は健康権の話をすることだったので、健康権が実現可能な課題になるようにWHOを理念的に導いたアマルティア・センの上記の本を持って出かけた。以前、訳者の川本さんから直接もらった時には全く歯が立たなかったのだが、今回は読めそうな気がした。

 

まず訳者の大庭氏と川本氏が一章づつ交互にかつ論争的に書いている訳者解説を精読することにした。そうしたらこれがなんとも面白いのだった。

 

 

 

 

第1章を書いた大庭氏というのは、川本さんや僕より5歳年長だが、おそらく全共闘世代の喧嘩好きな人なのだろう。

 

乳児のためにミルクの買えない母親の横で、肌の美容のため牛乳風呂にはいる「チンコロ姉ちゃん」などいう今では誰も使わない差別的な言葉には辟易してしまうが、分かりやすく鮮やかに論点を提示するのは天性のものなのだろう。センを読む意義は、彼が功利主義をその最良の、いわば頂点で乗り越えようとしているからだ、と大庭氏は冒頭で明確に述べている。

 

「最大多数の最大幸福」という誰もが納得しやすい規範を示す倫理学としての功利主義が、結果を重視する「効用主義」という部分だけを「見えざる手」により保証される「合理的個人」を前提とするリバリタリアニズム経済学に「手込め」にされて子どもを生まされた結果が「ホモエコノミクス的な市場均衡論的功利主義」また「パレート最適」なのである。これが僕たちの最も頻度高く遭遇するものだとしても、それは最悪の功利主義、いわば功利主義の鞍部、さらには功利主義の反対物でしかないので、相手にする必要はない、というのが、彼が第一章で力説していることである。

 

 

では、センは、どんな功利主義をどのように乗り越えようとしたのか?「見えざる手」でなく「直接的民主主義と選挙・代議制の適切なフィードバック」で「効用=福祉 の最大化」を図っていく民主主義的な功利主義という暗示がなされる。

 

 

それに答えるのが川本さんの書いた第2章である。センがまず発見したのは、パレート原理による「自己利益追求」としての たとえ民主主義的な政治による結論における効用の全員一致といえども、人間の自由や正義感という本質的な部分が両立しないという簡単な事実である。

 

現在でいえば、原子力発電による安く安定した電力供給という効用をえらぶ(選挙で選ばれた)政府と、核廃棄物を大量に生み出し自分と未来の人類を脅かすことを拒否する市民の自由と 正義感は決して両立しない。

 

その両立を信じる振りをするのが「合理的な愚か者」という貧弱な人間観なのだが、そこから脱出する手がかりが「共感」と「コミットメント」という道徳感情!なのである。それは新しい人間観の提示に他ならない。これは、カントに源を持った考えにちがいない。

 

もう一つ、センが成し遂げたことは、貧困の測定を、単に所得を指標にして客観的に行うことでなく、もっと多面的に、主観や社会制度も含んだ複数の指標で行なうことだった。

 

少年の頃遭遇したベンガル地方の大飢饉で人々が大量に餓死したのは、絶対的な食糧の欠乏がそこにあったのではなく、食糧を均等に届ける社会制度がそこに欠けていたからだという、彼の原体験がそこにある。

 

これこそが、ケイパビリティのアイデアであり、国際生活分類ICFで確立された医学モデルと社会モデルの統合、あるいは健康の社会的決定要因SDHに基づくヘルス・プロモーションの革新の指針となった考え方だった。それは、自己責任原理から決別し、社会の個人に与える決定的的影響力を正当に評価しようとする態度である。

 

だから、僕たちはどんなに時間がなくても、理解力を越えようとセンを読まないではいられないのである。

 

さて、センは功利主義者たちから、社会的弱者への共感とコミットメント、財産だけに執着しない最良の態度を受け継ぎながらも、効用すなわちその場限りの(主観的)満足のみを追求する姿勢を振り捨て、効用のなかにある現状順応性(男女差別の強い社会に育った女性が男に尽くすこと喜びを感じるなど)をきっぱり拒否する。後者は適応的選好形成といって、センを理解する時のキーワードである。

 

 

この川本さんのまとめに、第3章では、大庭氏はセンの功利主義批判はそんな微温的なものではないとする。

 

大庭氏によれば、功利主義批判に一生をかけたロールズさえも功利主義の修正主義者でしかない。「最も不遇な人の益になる」という留保をつけた「最大多数の最大幸福」だというわけである。これにたいし、センはまさにコミットメントする、自分の生身の肉体をかけて関わる、という一言によってセンなのである。コミットメントすることにより、相互に無関心な合理的個別利益追求者であることを脱しうるからである。

 

 

これに対し第4章で、川本さんはロールズとセンの連続性を強調し、ロールズが平等を何より大切にしたことをあげ、その平等が財でしかないために持つ弱点を、機能の平等に発展させたことを述べる。じ財、金を持っていても、それで可能になる機能は人によって違う。

 

同じ交通費を与えられても、健常者は容易に目的地にたどり着くが、障碍者は介護者なしに移動できないのである。平等でなければならないのはあたえられる金ではなくて、機能なのである。関係ある機能の一括りが潜在能力、ケイパビリティと呼ばれる。

 

 

基本財の平等でなく、基本的生活機能=ケイパビリティの平等、これがロールズからセンへの発展である。

 

おおよそこんなことが書かれてあるので、それほど難解とはもはや思えないのだった。

 

 

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