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2012年10月 4日 (木)

2025年、50万人の死者が行き場所を失う時代

Facebookにつけたコメントにすぎないが、これまでの自分の意見の結論のように思えるので、こちらの方に収録しておくことにした。

*これまで、ブログを読みなおして、要約をFacebookに投稿することはあったが、Facebookの応答で思いついたことをブログに載せるのは初めてだ。

考えてみれば、自分の頭の中で擬似的な対話を繰り返して文章を書くよりも、バーチャルとは言ってもFacebookで本物の他人と対話したほうがより立体的にものが見えてくるということはあるのかもしれない。ただ、その対話は枝葉が広がって収拾がつきにくいこともあるので、一長一短あるわけだが。

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「行き場所を失う50万人の死者の多くが、突然死後の放置、孤独な病死、介護者の死亡による餓死などになることは国も十分わかっているだろうと思います。

わずかにサービス付き高齢者集合住宅がその対策だとしているわけですが、高額なそれをどれだけの人が利用できるものか。

その政策ではなく、「居住の権利」の確立によってすべての高齢者の住居を「サービス付き」にすることで、死後の放置、孤独な病死、介護者の死亡による餓死を一切なくそうというのが民医連の決意です。

なお、独身のまま死ぬのはごく普通です。結婚し、子どもがいても、配偶者との死別、子どもの就職、転居があり、「老後はだれでもお独り様」というのは別に知識人の愚かしいステレオタイプな考え方ではありません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これを書いた後に思ったことだが、「居住の権利」というのは、衛生的で機能的で耐震・耐災害で外観も見苦しくない住宅が保障されるというハードの部分のみを言うのではなく、それを前提として獲得される「人とつながってその地域に住むことが保障される」ことのほうを目的としているのである。

その最低限の具体像が、①たとえ孤独に突然死しても死後長く放置されない、②病気になっても放置され、そのまま死ぬことがない、③介護者の死亡によって、餓死の危機にさらされない、ということになる。

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