最悪の1週間と、飛行機の中で考えたこと:①患者との共通基盤を作るために医師は修練する ②医療倫理とは結局文学的センスのことで、臨床倫理委員会のない病院は病院ではないだろう
東京から長野市に日帰りで往復したあと山口に帰ってからの 6日間は、次々と入院患者が増え、かつ一斉に悪化した最悪の日々だった。
・・・・・・以下のようなことを書くと、医療への不安を掻き立てるだけという批判もあるかとは思うが、 60歳をすぎた医師が、一般の急性期病棟で入院患者さんを20人担当し、週に8から9単位(半日が1単位)の外来と検査をこなし、その間に日直や当直をし、また医師として求められる社会活動をしなくてはならないのが、日本の医療の現実だから、あえて隠すことなく書いてみよう。・・・・・・・・・
金曜日は病状説明が後手後手となったことを患者家族から厳しく批判された直後に患者が急変した。「この病院を選んだ私が悪かった」と娘さんが遺体にすがって泣くのを黙ってみるしかなかった。
土曜日は、下血で入院した2日目でまだ血液が充満している大腸全部を内視鏡で何とか観察し、結局は小腸下部に至り、そこから上流に向けて潰瘍が連なっているのを発見してようやく小腸からの出血と診断した患者さんが深夜に大量下血しショック状態となった。小腸の検査は自分ではできないので、消化器の全国的な学会(DDW)が終わる週明けに大学病院消化器科に転院の予約をとっていたのに、それを待たずに起こったことだった。すぐに病院に駆けつけて救急車に同乗して15分ほど離れた所にある大学病院の救急部に転送した。僕の病院では深夜に輸血を開始するまでに2時間かかり、それを待ってはいられなかったのである。この人は救命できた。
日曜日、朝一番の飛行機で出かけて東京に日帰りしようと準備していたら、すでに人工呼吸器を装着した別の患者の動脈血酸素飽和度が上がらず、血圧も低いという報告が来る。出かけないわけにもいかないので、当面の指示を電話で伝え、もう仕事が終わる間際の前夜の当直医に診察を依頼した。後で見ると僕の指示を肯定するきれいなカルテ記載が残っていた。
東京についても、会議室にも頻繁に電話がかかり、不安そうな看護師にこまごました指示を与え続けることになった。
そういう中で、僕が心の安定を保つ手段は読書しかない。
往復の飛行機の中で読むための本・雑誌は3冊持っていた。
スベトラーナ・アレクシエービッチ 松本妙子訳「チェルノブイリの祈り 未来の物語」岩波書店1998年、
Moira Stewart 「Patient-Centered Medicine Transfoming the Clinilcal Method ;Second Edition」Radcliffe Medical Press 2003、
雑誌「JIM」2009年9月号「診療現場での倫理」特集号
である。余念なくそれらの本を読むために飛行機があったと言ってよい。
○「チェルノブイリの祈り」はベラルーシの女性ルポライターによる静かな告発の書である。
(どこの国でもこの職業は女性がすぐれているのではないか?日本の島本慈子「戦争で死ぬ、ということ」、カナダのナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」、アメリカのレベッカ・ソルニット「災害ユートピア」等を考えてもそれは容易に導かれる結論である)
112ページ「あなたがたは恐れている。だから病気になるんだ。原因は恐怖心なんですよ。放射能恐怖症です」
これは福島で山下俊一福島大学副学長が言ったのではなく、チェルノブイリの女教師が周囲の不可解な死を報告した時に浴びせられた現地の言葉だ。福島で起こっていることは、チェルノブイリの再現だと言うことがよくわかる。
その夫は116ページで「ぼくら1000万人のベラルーシ国民の200万人以上が汚染された土地で暮らしている。国際的な実験室です。悪魔の巨大実験室です。日本やドイツ等各地から訪れては学術論文を書いている」と言っている(一部改変)
その中に山下俊一氏もいたのだろう。
○患者中心の医療については、患者と医師の視点の間に共通の基盤を見つけ出すことが、臨床上の成功の大きな鍵であることが研究からも明らかになっている(P12)ことを自分がどれだけ本気で受け止めているかを考えた。
「患者中心の医療」は突き詰めれば「共通基盤の形成」に尽きるのである。
医師としての学習も、その共通基盤をより強固なものにするためにあるのであり、医師としての学習のために患者が「症例」として存在するのではない。
共通の基盤づくりを本気で考えれば、病状説明のあり方も質的に変わってくるはずで、今まで自分がしてきた病状説明は、医師の言い訳、あるいは「症例」としての立場を患者に押し付けるだけのこと(「胃癌でしたよ。したがって治療はこうなります。ご質問は無意味です。ハイ、終わり」)ではなかったかと反省された。
○雑誌JIMの中では、群馬大学の服部健司という人の「倫理学的判断力をいかにして身につけるか」という文章が面白かった。
倫理的な判断にマニュアルはない。人間的な判断力、それを文学的センスというが、それ鍛え磨くしかない。
*文学とはいかに生きるかを問うことで、「文学なしに人間は生きて行くことは出来ない」と加藤周一さんは言っていたが、まさにそれと同じことがここで主張されているのである。
その力を病院で集団的に磨くには、ケーススタディしかない。患者の本当の希望は?患者の決定と彼の人生観の間に段差はないか?患者と医療者の関係はうまくいっているのか?医療者はどこまでかかわるべきなのか? などを議論する。
このとき重要なのは、病棟のカンファレンスをケーススタディの代わりにしてしまうと、自由な発想が妨げられるので、そうしないほうがいい、ということである。
考え抜かれた仮想ケースを使うのがよい。紙に書かれた物語ケースは簡便だが教材として不十分である。やはり動画にしたドラマケースがよい。
ドラマケースを用いて文学的センスを磨くことで、医療倫理の力がつく、それ以外には実はいい方法がない。
こういう愉快な主張を読みながら、僕は少し前に自分がここで書いたブログの記事を思い出していた。
「人が人であるという理由だけで持っている基本的人権が存在するという考えはさまざまな憲法や国際的宣言で繰り返し述べられ、岐阜大学の竹内章朗も、都留文科大学の後藤道夫も、慶応大学の印南一路も、もはや証明する必要のない公理だと見なしている。
しかし、センは決して上記のように考えてはならないことを強調している。
『公共的討議』を持続することが必要であり、そこで得られるのは『公共的理念に関する合意』の限りない深まりというものである。その合意の理由・根拠は一つではなく複数あるのが普通であり、それはある意味、理念の不完全性を意味するが、それが合意の価値を減じるものでは一切ない。
それは、カントが説くように、人間や社会の義務には「完全義務」と「不完全義務」の区別がありながら、重要性において両者に差がない、むしろ、自由な人間にとって不完全義務を果たすことの方が倫理的に重いというのと同じである。
このようにして、基本的人権の存在をその不完全さを自覚しながら公共的な合意に達するように常に努力すべきであって、一方的に、公理だと断言してしまわないことが必要である。」
センが何かの公理(ガイドラインと言い換えてもよいだろう)から正義の結論を引き出すことはできない、さまざまな立場から議論し続けることしかない、だから、完全な結論もなく、あるのはそれに接近しようとする人間集団の努力だけだ、ということと、僕たちが臨床現場で倫理的な答えを求めることは完全に一致する。
そのための訓練方法があるというのが、服部が主張するところである。
○そこで、僕は独自な医療倫理の必要性の説明を思いつく。
医療倫理を考えるとは、患者や自分たちの人権や自分たちの医療理念と現実との間にある乖離、距離を埋めようと努力することである。
理念と現実の間にある乖離や距離の存在に気づく文学的なセンスを鍛えながら、果てしない議論と実践の連環の中にあること、これが病院倫理委員会に課せられた課題である。
それは医療そのものである。言いかえれば医療倫理は医療の本質、あるいは医療の全体像の一つの側面であって、医療の一部分ではない。それは医療の安全や、医療の質が医療の一部分でないのと同じである。
外科や内科などというある部分が欠けた医療はあり得るが、医療倫理を欠いた医療はあり得ない。したがって医療倫理委員会のない病院は考えられない。
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そんなことを考えていると飛行機は山口宇部空港に着いた。今朝、状態が悪くなったと連絡があった患者さんの家族が病院で待っている。
今度こそ何かしら「共通基盤を見い出すような病状説明」をしてみようと思いながら、病院に向かう。
状況は厳しいので、家族の不信は消えない。話していくうちに、いろんな誤解をされていることも見えてくる。そういう誤解を生んだのはこちらの言動のせいである。少しづつ解きほぐす。完全ではないが、今何ができ、それがうまくいかないときはどういう結果になるだろうという点で共通の見通しがかろうじて出来上がる。
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だが、そこで僕に限界が訪れる。これから午前4時、5時に心拍数が低下したという電話で飛び起きて自転車で病院に向かう体力はもはや残っていない。それをすれば僕が壊れる。
そこで後輩の当直医に午前2時の回診と、今日は泊まり込んだ家族の人への病状説明を依頼した。
きちんとした回診と説明が行われ、家族の人も心準備が出来て午前5時に患者さんは亡くなった。僕には死亡診断書を書く上での相談の電話があった。
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