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2012年10月 8日 (月)

唐鎌直義「脱貧困の社会保障」旬報社2012年 ・・・「(本書を書いた目的は)普遍主義の福祉をこの日本において形成し、定着させたいということに尽きる」「イギリスの福祉国家は腐っても鯛だが、日本社会保障は鯖の生き腐れに過ぎない」

10月5日から7日の3日間の出張はじつに不全感に満ちたものだった。それは主として3つの理由による。

①1日目、来月に開かれる中小病院交流集会の準備が主なテーマだったのだが、直接その担当でないためか、自分の関心とは相当ずれることが議論されており、その結果として自分の立ち位置が揺らいだこと。

僕にとって、まず民医連の中小病院がもつ経営や組織の「問題」群があるのではなく、真の問題は日本の医療体系の再編・改悪計画とそれに連なる医師養成方針の中にあり、民医連に数多く加入している中小病院を拠点にしてそれをどう反撃・解決していくかこそが議論されるべきことと思えていた。

その方向は、いうまでもなく、政府が歪曲している「地域包括ケア」を国民の要求に沿って正しい方向に発展させることであり、日本の医師養成の主流を中小病院を担う多数の総合医育成に置くことである。

だが、それはいわずもがなの当然の前提で、そのための経営論、組織論がいまここで議論されているのだと言われれば返す言葉はないし、そこに思い至らない自分は何なのだろうということにもなる。

②2日目、担当する二つの委員会が同時に開催され、一方に出席できなかったうえ、出席できないほうに提出する宿題を忘れていたこと。

そもそも無理な日程をやりくりしているので、委員会の予定を上手にコントロールできないのは僕のせいではないが、宿題を忘れていたのは自分の怠慢である。

だが、その宿題を改めて考えると、きわめて難問で、僕の手にとうてい負えないものである。おそらくそれがあったので、無意識に忘れてしまったのだろう。何といういい加減な言い訳だと言いたい人は言えば良いのである・・・という開き直りはできない性質なので、気持ちが暗くなった。

③3日目、長野市で開かれた地域の生活づくりのシンポジウムに日帰りで参加したが、帰りの飛行機の関係で半分で切り上げたこと。シンポジウム参加は2時間で、移動時間が待ち時間をいれれば9時間。つまらない計画を立てたものだと自己嫌悪に陥る。

そのなかで唯一良かったのは、会議の会場に値引き価格で平積みされていた唐鎌直義「脱貧困の社会保障」旬報社2012年を買って、移動中に読み終えることができたことである。

まるで鎌倉時代か室町時代の武将であるかのような名前を持つ著者は、講演で見る限り、豊かな見識を人前では誇りたくない、格好のよいことを言うときはむしろ笑ってごまかす、という人である。演説や集会での発言の滑舌のよさ、耳当たりの良さ、啖呵の景気の良さを何よりの生きがいにしている僕たちの陣営の誰彼の対蹠点にいる人と思えばよい。

あとがきを見ると、そういう人にしても「十分な考察ができない」ままの多数の依頼原稿をこなしている中で疲弊して、2年間は休息の時間が必要となり、専修大学の教授を辞めて2年間フリーター生活をしたとある。これはよくわかる話である。雑誌に原稿を書くのはブログを書くのとは大違いなのだ。

*唐鎌氏の略歴を見ていて気が付いたのは 長野大学の助教授から職歴が始まっていることである。実は、上記の長野市のシンポジウムで、貧困論を担当した若い研究者は「上田市にある長野大学に勤めている」と言っていた。長野大学には貧困論研究の伝統があるのだろうか。

さて、著者の訴えたかったことをぎりぎり2点に絞れば

①115ページ:厚い社会保障による「賃金への依存度の低い生活」こそ、搾取関係にうちひしがれることのない強い労働者を作る。彼らが本当の福祉国家を手に入れたとき新自由主義は立ち枯れる

②261ページ:福祉は資力調査(ミーンズテスト)を伴う選別主義から、義務教育やイギリスのNHSのように所得の多寡によらず国民全員に一律平等に給付する普遍主義に発展しなければならない

ということになる。

それはそれとして、この本の特徴は60歳を超えた唐鎌氏の自由な発言である。そういう箇所を見つけることに集中するとこの本はとても面白くなる。温厚でシャイな仮面の下に隠された過激な革命的研究者の素顔が見えるといってもいいだろうか。

僕が見つけたいくつかをここで記録しておくことにする。なお文章は、僕の好みで若干変えている。

P23 「初冬の休日の朝9時半ごろ、私はスーツとネクタイ姿で講演の会場に向かうため、横浜の駅前の交差点で信号待ちをしていた。そこで見た光景は、汚いジャンパーを着込んだおびただしい中高年の男たちが競馬の予想紙を持って駅に吸い込まれていく流れだった。皆一様に孤独で無言で怒っているように見えた。その中でただ一人スーツ姿で立っていた私は信号が変わっても一歩も動けなくなった。こうした都市の日常にいつまで人は見て見ぬ振りができるのだろうか。何気ない日常の裏側に見知らぬ人々の不幸が溢れているのだ。『あってよい格差』などどこにも存在しない。」

p35 学問の役割は人々に希望や明るい将来を提示する点にある。それを忘却している経済学に明日はあるのだろうか。

P37 「チャップリン自伝」を唐鎌さんは自分で訳している。・・・(一家が救貧院に収容され、母と子供が引き裂かれた後)あの最初の面会日の強い悲しみを忘れることはできない。母はどれほど絶望し、混乱していたのだろうか。1週間の間に年をとり痩せ細っていた。それでも私たちを見て、母の顔が輝いた。私たち兄弟が泣き出したので母も泣いた。大粒の涙が母の頬を伝い落ちた。・・・・

p39 19世紀末のイギリスで「自立自助」という言葉の嘘を見破ったのは「反救貧法運動」に結集したフェビアン社会主義たちであった。

P47  労働者派遣法1985という歴史に逆行する制度が、わが国では数少ないブース理論に精通し職業安定法の精神を知り尽くしている学者の手によって創設されたことを私たちは忘れてはならないだろう。その人は、その時、確実に日本の労働者階級を見捨てたのである。

唐鎌さんは、この学者の名前を明示していないが。信州大教授だった「高梨 昌」氏であることは明らかである。転向者としての高梨氏の研究は誰かがしないといけないことなのだろう。特に彼の教え子によって。

P47 職業と結び付いた貧困(レバーリング・プア)を明らかにし、貧困の個人責任を否定したブースの研究は、道徳の涵養でなく雇用の安定をなくすことを貧困の解決法として示しており、ただ社会主義国家の実現にのみ展望を説いたマルクスの主張より原生的利用価値が高い。

p115 寄る辺なき無党派層の増大と投票率の低迷はわが国の選挙制度が引きずる長い影である。何よりも教育を受け、健康で自信を持っている強い労働者を作ることが重要である。。(・・・そうすれば彼らは正しい代表者representativeを作り出し、選挙の毎に結論を変える無党派層ではなくなり、民主主義を発展させるだろう・・・。野田)

p124 寺山修二は「身棄つるほどの祖国はありや」と述懐して見せたが、個人の命を犠牲にするに値するほど尊い国家などもともとどこにもありはしない。寺山は戦前の天皇制絶対主義国家に郷愁をもつ人間だったのである。

p125 明治期の日本資本主義の発展を担って、本当に偉大だったのは国家体制を担った英雄などでなく、貧苦に耐え抜いた勤勉な農民と労働者だった。

P157 貧困に喘ぎ所得を渇望する人たちが、目の前の金銭ではなく社会保障の充実こそが基本だとまず気付いた。なんというパラドクスだろうか。所得外の保障により厚く守られている大企業労働者には見えない社会の真の姿が不安定就業階層のみに見えたのである。

p158  かって縁辺労働者とみなしていた労働者が、いまや縁辺などではなく、労働者の枢軸を占めるように逆転している。

p159 こうして日本社会の現実から垣間見えるのは、大企業の営利活動に翻弄される労働者の姿であり、生活の主体としての自らの市民的権利を主張することさえかなわない日本国民の哀しい姿である。

今は19世紀イギリスの大恐慌期に出現したワーキングプアが再創出される時代である。すべてを「グローバル化と脱工業化」に求めて、これを先進工業国の宿命のように描くのは、GDPの半分に達する巨大な内部留保に絶対手をつけたくない研究者に共通する卑劣な問題点である。

P161 宮本太郎はアメリカとイギリスとカナダを「アングロサクソン型の小さな福祉国家」に分類した。しかし、映画「シッコ」を見れば、イギリス・カナダとアメリカが同じ型に分類できないことは学生でもわかる。こんなことが専門家に理解されない現状をなんというべきか。説明のために行なう曲解が彼の常態である。

P161 イギリスの福祉国家は「腐っても鯛」だが、日本の社会保障は「鯖の生き腐れ」である。

p258

コムスン事件の際にも明らかになったように、全国の高齢者の零細な年金から広範囲に集められた介護保険料は、ごく一部の超富裕層を生みだすことに充てられている。

介護保険制度は、家計部門から企業部門に富が移転される仕組みである。

*≪大金持ちが貧困な高齢者世帯からカネを吸い上げる仕掛けとしての介護事業所≫野田

介護とは「要介護者に食事を与えておむつを交換してやること」と考えているから、厚生官僚は市場化に向けて舵をとることができたのだろ。そして介護の現場を、介護職員の専門性を根底から否定するほどに低い賃金の職場にしたのもそれと同じ理由だろう。

≪どこかで、介護保険をやめて、介護のあり方を根本から変えなければいけない時期に来ているが、唐鎌氏以外にだれもそれをはっきり言いださないのはなぜだろう≫野田

P264 人生の中で重要なことほど個人選択が許されていない。重要でないことの選択可能性も実は本質と関係のない心理的充足感(ブランド信仰)の問題にすぎない。

それは、結局はグルタミン酸ソーダの強烈な味付けが本質に過ぎないカップラーメンを多様なパッケージから選ぶことの「幸福」と変わらない。

P273 「地域主権」という考え方の致命的な点は、地域格差の是正機能を国が放棄するところにある

P322 社会保障は「富の分配」が命である。消費税で社会保障を持続可能な制度にできたとしても、それは国民を不安に陥れるだけの「不幸の分配」に終わるだろう。

P323 ロンドン・オリンピックの開幕式の中継のなかで、ラストシーンにNHS(国民保健サービス)の三文字が暗転した会場の中に淡いピンクの光る輪に囲まれて大きく輝いた時私は不覚にも落涙した。

オリンピックの会場で自国の医療保障制度を誇示する国がこれまであっただろうか。

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