モイラ・スチュアート「患者中心の医療」第2版の Introductionを訳し始めてみた(途中)
やはり、読むと訳すでは時間のかかり方が大違いで、作業としては相当負担になるが、始めてみよう。なお、これの一つ前のPreface序文は、この本を買った時すぐに訳してこのブログにアップしている。
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患者中心の臨床技法が初めて概念化され、研究と教育に使われ始めた1980年代には、それはまだ医療の辺縁に位置した。
実際に、患者中心の医療は多くの教育者や研究者から「ソフトサイエンス」(擬似科学)と見られた。ケア技法と共感は人間らしいケアの重要な側面とは認められたが、患者中心の医療そのものが現代の科学的医療のなかで時計の針軸(ピボット)のような中心的な役割があることに気づく人はほとんどいなかった。
この本の第1版において私達は患者中心の臨床技法の全てを書ききり、それが臨床と医学教育の改革の爆心地(この訳語が被爆国日本に適当かどうか)になることをめざした。
第1版以降、私たちは患者中心の臨床技法を北米、ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランド、東南アジアの医学生、研修医や指導医、地域の医師、医学部教員の多くのグループに教えることから、逆にたくさんのことを学んだ。
患者中心の臨床技法はいまや国際的に卒前卒後の教育課程の基礎となっている。
さらに、いくつかの国では卒後研修の総合評価の指針にもなっている。
患者中心の臨床技法に焦点を置いた研究はこの10年間のうちに爆発的に増えた。
国際的な研究は、患者中心の医療が患者の主観的満足をもたらすだけでなく、治療効果と患者のその後の健康資源活用においても衝撃的な影響力を持つことを示した。
これらの研究は、患者中心の医療の世界に通じる定義をあらためて浮かび上がらせることになった。
[患者の望む患者中心の医療は
(a) 患者が受診した本当の理由、患者の関心事項、知りたい情報を探り、
(b)患者の世界、すなわち全人格としての患者の人生上の出来事を見渡した理解を探り、
(c)その上に臨床上の問題が加えられ、管理上の相互の合意が乗るような共通基盤を見つける、
(d)予防とヘルス・プロモーションを強化し、
(e)患者-医師間の持続する関係を強化する、というものである。](スチュアート2001)
このように世界中からの賛同があり、医学教育への貢献を示すエビデンスの蓄積も進んでいることから、患者中心の医療モデルが真の意味で臨床技法を変容させたことは確かである。
研究と実践のこの20年の後、患者中心の医療は医療の主役となっていった。生物医学的技術が幾何級数的に前進するときさえも、患者と医師の相互作用について好奇心を刺激し本当に人の心つかむものは、何も変わらぬまま残っているものなのである。
実際に患者は患者中心の医療を希望し続けている;それは時間の試練を耐えた事実である。同じことが、患者中心の臨床技法の理論的枠組にも言える。
特に、患者が気づき憤るのは生物学的技術問題が医師-患者間でそもそもの受診した目的をも圧倒してしまうことであり、患者の個別的な人格の物語の重要性が最小化されてしまうことである。さらに今日的な生物医学研究の領域である医学遺伝学はテイラーメイドな治療プランで個々の患者を個別に扱うという原理を強力に支持するものである。患者中心のケアと医学遺伝学は手に手をとって、質の高いケアは個々の患者ごとに個別性があることを認識し始めているのである。
患者中心の臨床技法
ウェスタンオンタリオ大学の家庭医学科教室は1968年に最初の主任教授イアン・マックィニーの着任とともに患者―医師関係の研究を始めた。
「患者が医師の前に現れる本当の理由」を明らかにした彼の研究は、患者の問題のすべての広がり、すなわち身体的な、社会的な、かつ心理学的な広がり、およびその深さ、患者の提示するものの意味の探求の画期となった。
彼の教室の大学院生であったモイラ・スチュアートの研究はこれらの関心に導かれたもので、患者―医師関係に焦点を当てる始めとなった。
1982年に教室は南アフリカから来た家庭医学客員教授のジョセフ・レーベンスタインから強い刺激を受けた。彼は実践のモデルを発展させる試みを私たちと共有した。患者中心の臨床技法はウェスタンオンタリオ大学の患者―医師コミュニケーショングループの研究を通してさらに発展した。
この本では患者中心のモデルと技法を描写し説明する。概念開発、教育、研究のプログラムは最近20年間なお進行中だが素材は豊かである。プログラムは家庭医学の文脈に持ち場を置くが、そのメッセージは医学全科、さらに看護、ソーシャルワーク、理学療法などの医療専門職にも関係している。全体に関係する枠組みはモデルそのものである。枠組みの実践の仕方は臨床技法を反映している。この本では枠組みもその実践も示している、それが患者中心の臨床技法である。
患者中心の医療は臨床医の考え方のちょっとした変化を前提としている。
第一に専門職は管理し、患者は受け身であるという上下関係意識はここでは捨て去られなけれなばならない。患者中心であるということのために、専門職は患者をエンパワーすること、そのパワーを共有する関係をつくることができなくてはならないし、そのことは伝統的に専門職の手にある管理というものを捨てることを意味する。これは患者中心の実践の道徳的命令である。こうした価値の変化を生みだす中で、専門職はパワーが共有された時に対患者関係が作り出す新しい方向を経験できるだろう。
第二に患者との関係において客観主義的な姿勢を取り続けることは人間の苦しみへの受け入れがたい鈍感さを作りだすということを知らなくてはならない。患者中心でいることは、主観的であることと客観的であること、心も体も使うというバランスを要求することなのだ。
この本では私たちは患者中心の臨床技法の六つの相互に作用し合うコンポーネントについて述べた。それはBox1.1にまとめ、図1.1に図示しておいた。
Box 1.1 患者中心のプロセスの六つの相互に作用し合うコンポーネント
1 疾患と病い体験の両者を探ること
・病歴、身体診察、検体検査
・病い体験の諸相(感じ方、考え方、能力への影響、希望)
2 全人格を理解する
・人格(生活歴、人格的問題、生育上の問題)
・身近な人間関係(家族、職場、隣近所のサポート)
・より広い関係(文化、社会、自然環境)
3 共通の基盤を発見する
・問題群とその優先順位
・治療や管理の目標到達点
・患者と医師それぞれの役割
4 予防とヘルスプロモーションを診療の中に組み入れる
・健康増強
・危険回避
・危険対策
・早期発見
・合併症対策
5 患者―医師関係の強化
・共感
・生活力
・癒し
・自己省察
・転移と逆転移の認識
6 実行力
・時と時期を選んで行う
・チーム形成とチームワーク
・賢明な援助資源管理人になる
前半の三つの相互に関連するコンポ―ネントは患者と医師の間に進行する過程を包含している。後半の三つのコンポーネントは患者と臨床医の相互の働きかけを包む関係性により焦点を当てている。各コンポーネントは教育と研究の便宜を図るものであるが、「患者中心の臨床実践」は全体を統一する概念であり、一つ一つの患者と医師の出会いにあるかけがえの無さのなかで各コンポーネントは相互に作用し結合することを意味するものなのである
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