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2012年9月13日 (木)

生存権と健康権の関係

資料はウイキペディアなど安易なものを並べているが必要なので付けておいた。

気付けば生存権と健康権の関係は意外に単純である。

19世紀末、アントン・メンガーらに代表されるドイツの左派経済哲学の中で生存権思想は生まれた。それは、国家と社会政策は国民のより良い生存のためにあるという考えである。生存権を保障する国家を「社会国家」といった。

この考えは、イギリスのウェッブ夫妻やベヴァリッジというフェビアン社会主義者や経済学者ケインズなどにも影響を与え、「福祉国家」という考え方が生まれた。

両者は、同じ時代の同じ考えである。

そして、それは、人間はただ生存していればいいというわけではなく、健康と文化を備えた尊厳がなくてはならないというものであった。人間の可能性を全開させることが目標になったのである。

戦前から、日本には、ドイツ経由の生存権思想が福田徳三や森戸辰男によって伝わっていた。

1946年の憲法制定時に、占領軍からはケインズを奉じる若いニューディラーが多く加わったが、彼らの作った社会権条項は稚拙なものであり、森戸辰男が生存権思想でこれを整理し、25条が生まれた。

一方、同じ頃のイギリスでは、ベヴァリッジが戦後の福祉国家の基本となる報告を発表していた。

ここはまだ確認できていないのだが、その流れが、1946年のWHO憲章の健康権宣言に結びついて行ったのはほぼ確実である。健康が人間の能力の開花の基礎になることが強く意識されたことが特徴と言えるだろう。

したがって、根源が同じものが、戦勝連合国では健康権として表現され、敗戦国日本では生存権として憲法に取り上げられたのである。

いま、混乱が起きているのは、その後、両者が交流なくそれぞれ発展して行ったためである。

健康権は、アマルティア・センの影響を強く受けて、実践が重視されて、健康戦略を積み重ねて、ついに健康科学史上最大の成果と言ってよい健康の社会的決定要因の発見に至った。

一方、生存権は、社会福祉論領域に特化して精緻になっていった。特に、最も困窮した人をどう救済するかという、いわば、ハイリスク・アプローチが詳しく追求された。

これに対し、健康権は、全ての社会階層が不平等によって健康を剥奪されている点を重視し、平等でなければ健康はないと考えており、いわば、ポピュレーション・アプローチ的である。

しかし、この両者がふたたび一つに結びつく必然性が、グローバリズムで生まれた。

それをいち早く取り上げたのが、全日本民医連の40回総会の方針だったのである。

○アントン・メンガー【Anton Menger】  1841‐1906

オーストリアの法学者。兄のカールは経済学者。ウィーン大学教授・総長を歴任。民事訴訟法学者・法哲学者として,また,民主主義者・社会主義者として,本来国家活動が実現すべき目的であると考える各個人の真の生活目的(個人の生存の維持・発達,種族の繁栄,生命・身体・健康等の充足)を,私法の限界内で,自己の力で自己の危険において処理すべき私事とみなす現行私法体系,とりわけ物権・債権・相続の各法を,少数の所有階級の利害に奉仕し多数の人民大衆を苦しめるものだと批判し,平和的・改良的な社会主義的立法により資本主義秩序を民衆的労働国家へ転換させようとする立場をとった。

○福田徳三

生年: 明治7.12.2 (1874)
没年: 昭和5.5.8 (1930)
明治後期から昭和初期にかけての代表的経済学者。東京生まれ,東京高等商業学校(一橋大)研究科を卒業後,明治30(1897)年から33年にかけてドイツに留学。留学中に『日本経済史論』(独文)と『労働経済論』の2書を著すほど早熟の逸材である。帰国後母校の教授になったが,事情あって慶応義塾大に一時転出,やがて母校に復帰した。初期の講義で英のマーシャルを祖述したり,門弟らにしきりに近代理論派の研究を勧めたりしたが,しかし価格論重視の理論には早くから批判的であった。価格の均衡は交換や配分の正しい手引きとならず,たとえば労働市場は賃金の争いでなく生活の争いであるという。それはのちに「生存権」を基礎とする社会政策論になり,さらに「必要に応ずる分配」を原則とする「厚生経済(福祉国家)論」となった。日本社会政策学会の有力メンバーとして,マルクス主義の急進的立場に反対したが,イデオロギーを論ずるよりも,むしろ労働価値説や唯物史観を無批判に信奉する点を非難し,京都の河上肇 と激しく論争した。明治33年法学博士,大正11(1922)年帝国学士院会員となった。他面,関東大震災のときは被災者調査に奔走,また普通選挙の際は応援に熱中した。福田は通説では近代理論派の経済学の導入に力を尽くした点が強調されるが,むしろ独創力に富む優れた学者だったという点を高く評価したい。<著作>『福田徳三経済学全集』全6巻,『厚生経済研究』<参考文献>福田徳三先生記念会編『福田徳三先生の追悼』,『福田徳三・厚生経済』
(山田雄三)

○森戸辰男(もりと たつお、1888年(明治21年)12月23日 - 1984年(昭和59年)5月28日)

日本の学者、社会思想家、教育者(初代広島大学学長・名誉教授)、文部大臣。

大学に残り師事した高野岩三郎の経済統計研究室でしばらく助手をした後1916年、経済学科助教授となる。当時の経済学科は法科大学の附属品のような存在であったため、他の研究者たちと独立に尽力。経済学・社会科学の研究は、法律・政治の国家学とは本質的に異なるうえ、国家主義的思想の強い法科大学とは袂を分かちたい気持もあった。結果的にこの考えが後の森戸事件で上杉慎吉ら学内の右翼団体から攻撃を受ける事となる。1917年、ロシア革命が発生。1919年、経済学科が経済学部として法学部から独立。1920年、新機運を象徴するものとして経済学部が森戸と同じ助教授だった大内兵衛編集による機関誌『経済学研究』を刊行。森戸は人類の究極の理想が無政府共産制にあるとの考えから、この創刊号にロシアの無政府主義者・クロポトキンの「パンと奪取」という論文を翻訳し「クロポトキンの社会思想の研究」として発表した。このことが上杉慎吉を中心とする学内の右翼団体・興国同志会から排撃を受けて雑誌は回収処分のち発売禁止となった。さらに新聞紙法第42条の朝憲紊乱罪により森戸と大内は起訴された。
敗戦後1945年の秋、高野岩三郎、杉森孝次郎らの提唱で結成された「日本文化人連盟」に参加。ここで「新生」という雑誌を出すと共に、内部で新憲法の研究を始める。政府部内でも帝国憲法改正作業は進んでいたが、森戸らは民間として独自にこの作業と取り組んだ。法律に詳しい鈴木安蔵や今中次麿を加え「憲法研究会」を組織し二ヶ月ほど激論を重ねこの年の暮れ「憲法草案要綱」を公表。民間の草案としては最も早く、どの政党よりも一足先に出たため大きな反響を呼んだ。GHQ草案の作成に、この「憲法研究会」が採用されたことは、憲法学者の中では広く知られている[2]。同年11月、片山哲を書記長に日本社会党が結成された。森戸は創立準備委員会に参加し入党に踏みきった。現実に新日本を建設するには、具体的な政治組織と政治運動が不可欠であるという考えからだが、幹部としてではなく一党員として入党した。この時は代議士になるとは考えてなかったが、旧日労系の幹部たちの多くがパージにかかったため、やむなく1946年、旧広島3区から戦後初の衆議院議員総選挙に出馬し当選した。

○ウィリアム・ヘンリー・ベヴァリッジ(William Henry Beveridge、1879年3月5日-1963年3月16日)

イギリスの経済学者、政治家。1942年に発表された「社会保険と関連サービス」(ベヴァリッジ報告として知られる)と題された報告書は、第二次世界大戦後のイギリスだけでなく、日本を含む先進諸国の社会保障制度の構築に多大な影響を与えた。
国家公務員生活の後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の学部長、オックスフォード大学ユニバーシティ・カレッジの学寮長などを務めた。政府の委員会に多数関わり「ゆりかごから墓場まで」を目標としたイギリスの社会保障や雇用施策の充実に貢献。思想的・学問的にはフェビアン協会のウェッブ夫妻、経済学者ジョン・メイナード・ケインズから多大な影響を受けた。
1942年11月、政府刊行物として発刊された報告書『社会保険および関連サービス』をベヴァリッジ報告と呼ぶ。社会保障の大前提として「完全雇用の維持」「所得制限なしの児童手当」「包括的な保健サービスの提供」の3つを挙げ、社会保障制度の原則として「均一拠出・均一給付の原則」を提示した。
1944年より補欠選挙に出馬して自由党議員となり、議会の場においてもベヴァリッジ報告に基づく社会改革の実施を主張した。第二次世界大戦後のアトリー労働党内閣においてこの構想は実現へとむかい、「包括的な保健サービス」としてNHS(国民保健サービス)という、患者負担無料(当時)・税方式の医療保障制度が生まれた。

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