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2012年9月 5日 (水)

(こっちは十伝えようとしているのに)一だけ聞いて、十を知った気になり、百しゃべる人々について・・・鈴木頌さんのブログから

鈴木頌さんは、全く面識がないが、同じ民医連の医師であり、僕よりはいくつか年長に思える人である。とにかく、膨大な知識の持ち主で、現役の医師でありながら中南米の歴史については日本有数だとされている。

最近は、健康権などという概念はないのだと、民医連の方針を一蹴されており、数年間それについてばかり勉強してきた僕を青ざめさせてもいる。

そのブログを読んでいて、大笑いした一節があるので、無断でここに転載しておく。なんだか自分のことを言われているようである。ただし、僕は内科医であって、外科医ではないので、名指しの批判ではないことに胸をなでおろしている。

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http://pub.ne.jp/shosuzki/?monthly_id=201205

まずは十聞け

自分で言うのもなんだが、医者という人種は自分は頭が良いと思っている。それはカラスの勝手だが、困るのは一を聞いて十を知り、百しゃべる連中がいるということだ。
理路整然、とうとうと述べるが、所詮誰かの理論のオオム返しにすぎない。まさにオオム真理教だ。どちらかというと外科系(メッサーザイテ)にそういう手合いが多い。

ある先生が司馬遼太郎の三文小説を二、三冊読んで、「司馬は現代におけるマルクスだ」とのたまうのを聞いたことがある。私が笑っていたのはあきれていたからだよ、君。

そういう連中に限って、十聞こうとしない。十聞いても百知ることにはならないし、楽して受けを狙うには間尺に会わないからだ。
しかしその頭の良さは、普通は側頭葉のできの良さでしかない。スポーツ選手が小脳の出来が良いのと同じだ。
本当にできの良い選手は前頭葉をたっぷり使っている。1回反省回路に回すのだ。これが頭を使うということだ。
それにはやはり十聞くしかない
。≫

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