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2012年9月 1日 (土)

2012.9.1 医療生活協同組合健文会理事会挨拶

皆さん、ご苦労様です。
残暑厳しいおり、ご自愛のほどお願い申し上げます。

私の公務上の都合で9月にはいって、8月度の理事会を開かせていただくことになり、ご迷惑をおかけしました。運悪いことに、ちょうど今日から岩手県花巻市で、全日本民医連の共同組織交流会も開かれており、Y理事にはやむをえず理事会を欠席いただくことになり、申し訳なく思っております。

実は今朝まで、東京で民医連の4役会議に出ておりましたので、ご挨拶の準備に時間が取れないままで出席しました。そこで、今回は、情勢報告というより、今月号の「健康の広場」に寄稿しました「地域包括ケアと小野田診療所リニューアル」という短い文章の説明をして、ご挨拶に代えたいとおもいます。

7月27日投票の山口県知事選挙は反原発の飯田哲也候補が大善戦をして自民・公明が推薦した山本繁太郎候補は、前任の二井知事の得票から7万票近く減らしてようやく当選という有様でした。

選挙後の飯田氏の去就は様々に論評されていますが、原発をめぐる事態はそこをはるかに超えて進み、政府が募集した今後のエネルギー政策を問うパブコメには史上最高の9万通以上が寄せられ、その9割という圧倒的多数が原発0シナリオを選択するものでした。また、毎週金曜日に首相官邸前で参加者最大の20万人という反原発集会が続けられていますが、その呼びかけ人と野田首相が会い、臆せず原発再稼働に向かう政府の姿勢を批判しました。

民意が政治に反映しなくなった日本社会で、ついに直接民主主義が健全に働き始めた、という希望を持った人が多かったのではないかと思います。

そういうなかで、8月29日、参議院で野田首相への問責決議が可決されて、国会の見通しが立ちにくくはなりました。総選挙がいつあってもおかしくない状況であるという一方、安倍晋三元首相が自民党の総裁選挙に立候補しようとしたり、橋下大阪市長をめぐっての第3勢力形成の駆け引きが活発化して、東日本大震災の復興、原発被災者対応と「原発被災者支援法」の制定、脱原発へのエネルギー政策転換、貧困と格差という現代日本の大問題が隠されようとしています。
 
以上のようなことが情勢の現状ですが 2012年になって今日までの最大の出来事は、いうまでもなく、8月10日に「社会保障と税の一体改革」の手始めとして消費税増税法と社会保障制度改革推進法が民主・自民・公明の三党により強行可決されたことです。
これにより2014年4月8%、2015年10月10%と消費税率が上がる予定となりました。

「増税しても消費税収入は全て社会保障に使うので安心して下さい」と野田首相は言いました。たしかに消費税は一見社会保障のみに充てるのかも知れませんが、これまで社会保障に充当されていた別の財源は大企業本位の公共事業や成長戦略に新たに配分されることが決まっています。財源の付け替えをしただけで社会保障費は増えず、増税分の使い道がさらに反国民的になっただけです。これだけでも大ペテンと言えますが、社会保障制度改革推進法で「社会保障の財源は消費税に限る」としたことはあまり知られていません。しかしこれはきわめて重大なことでした。

そもそも社会保障費用は消費税だけでは賄いきれるものではありません。現行の社会保障でも消費税だけやっていこうとすれば現在でも税率20%がすでに必要で、将来的には30%を超えて必要です。今回の増税で追いつきようがありません。となれば、今後は消費税の枠内に収まるように社会保障の大削減を行いつつ、社会保障充実の声が上がれば消費税の大増税を突き付けるということがこの法律によって決定された社会保障の方向性なのです。

この仕組みの小型版はすでに2006年に始まった後期高齢者医療制度にありました。高齢者医療費に充当する国庫負担、他の健康保険制度からの拠出の総額を出発時点で決めてしまい、高齢者が当然希望する医療内容の改善にかかる費用は高齢者自身の保険料値上げのみで賄うとしたため、これでは高齢者の社会的隔離、すなわち姨捨にほかならないということで全国の高齢者の激しい怒りを買いました。

民主党政府は一度これの廃止を決めながら結局は継続していますが、さらにその大型版を全国民対象に用意したというわけです。

そして、際限のない消費税増税と社会保障削減路線である「税と社会保障の一体改革」の中心的政策が、この文章で主題にした「地域包括ケアシステム」です。

以前、在宅医療部のk部長から詳しい説明をしていますので、理事の皆さんには、十分ご承知のことではあるとおもいますが、地域包括システムが具体的にどのようなものであるかを簡単にご説明しながら、医療生協健文会の今年度の最大の事業課題である小野田診療所のリニューアルとの関連をお話ししたいと思います。 
 
⒈ 地域包括ケアシステムとは何か
本来、地域包括ケアとは「国民の健康な生活を確保するため、医療・介護・福祉が一体となったサービスが、地域という日常生活範囲の中で必要十分に提供される体制」という意味合いで、プライマリ・ケア学や地域医療学における重要な概念であり、目標でした。

最近は、さらに検討が進んで、健康については、単に病気がない状態、あるいは治療により病気から回復した状態だけを意味することを超えて、色んな抵抗に打ち勝って生活の質(QOL)の向上が絶えず図られている状態だとする考え方が強まり、そこには主観的な健康感や社会的な公平さが大きく影響するという研究も深まっています。

しかし現在の政府が「社会保障と税の一体改革」のなかで提唱している「地域包括ケアシステム」は、この言葉だけをつまみぐいしたもので、真の地域包括ケアとは縁もゆかりもないものです。政府の政策が学問の進歩をつまみ食いして、反国民的政策を美化するのに利用することはこれまで何度も行なわれてきたことであり、国民の健康に本当に役立つものではありません。
したがって、政府のいう「地域包括ケアシステム」についても、その名前に惑わされず、実際に何をしようとしているかを見ることが重要です。

政府の提唱する「地域包括ケアシステム」は端的にいうと①居住の重視に名を借りた高齢者入所施設の解体と、②地域ケアの脱医療化③自助、互助、共助、公助の有機的連動に名を借りた国・自治体の責任の住民ボランティアへの丸投げにほかなりません。
政府の政策の下敷きにされた「地域包括ケア研究会報告 2009年、2010年」のなかにある「2025年の地域包括ケアシステムの姿」の章を見ると2025年から始まる超高齢社会と多死時代のピークを政府がどう迎えようとしているかがよく分かります。

その章はサービス提供体制と、ケアを支える人材のあり方の二つの項目で構成されています。
「サービス提供体制」の項目を見ると、特別養護老人ホームは見守りと生活支援のある「集合住宅」と位置付けられ、医療・看護・介護は外部の業者に委託されることになっています。かつ、建て替え時にはかってのような大型施設ではなく、民家を改築した小型の集合住宅にするとされています。こうなるとサービス付き高齢者住宅とほぼ同じですから、特養そのものが無くなると同じです。これを捉えて「特養の長期待機」は自然に解消されると大見得が切られているのを読むと、怒りを通り越して笑いがこみ上げるほどです。

サービス提供体制の柱である「居住の重視」は人権としての居住や居住福祉の実現のことでなく、高齢者入所施設の解体と営利的な「サービス付き高齢者住宅」建設にほかならず、まさに貧富の格差が介護の格差に直結するシステム作りとなっています。

在宅を無条件に最良とするのは、政府の世論誘導で作られた「神話」に他なりません。真の地域包括ケアの中には、地域と密接に結びついた高齢者入所施設体系が必須であり、これを縮小、解体していく政策は人権に逆行しているものでしかありません。
 
次に、「ケアを支える人材」の項目では、家族の自己責任の強調が突出しています。すなわち「自助」の精神の強調です。「介護の社会化」という介護保険開始時のスローガンは予定通り打ち捨てられました。

そして、その家族を援助する専門職のなかで、特に医師の役割が変化します。現在は定期的に訪問診療して患者の様態の変化を素早く把握していますが、今後は在宅医療開始時に「指導」するだけの役割にされようとしています。
代わって定期的な病状観察や死亡時の看取りは看護師の役割となります。
そして、これまで看護師がしていた褥瘡処置や喀痰吸引などの身体介護は介護福祉士(ホームヘルパー)がします。看護師や介護福祉士の活動スタイルも変わり、長時間付き添って患者のお世話をするのでなく、24時間、地域のなかをめまぐるしく短時間ずつ巡回訪問します。
ではこれまで介護福祉士がしていた日常生活の援助は誰がするのでしょう。それは民間のボランティアがするのです。

家族を第一の介護者として位置付けても、在宅ケアをやり通せる家族など存在しないことは最初からわかっています。そこでボランティアに「互助」という立派な呼び名が割り当てられ、ケアの中心的位置が与えられています。地域住民をボランティアに組織することを「居宅生活の限界点を高める」と呼んで、一般病院からの患者の追い出しの口実にしようとしています。

こうして、介護する人材の役割を一つづつ上に上げ、結局は金がかかる医師を落としてしまうこの仕組みを、識者は「地域ケアの脱医療化」と呼んでいます。

結局、最も頼るべき医療保険や介護保険が「共助」という名前を与えられ、位置づけも内容も一段低い位置に引き下げられたということです。

これは医療・介護サービスに不満があれば自ら保険料を挙げるしかないぞ、今以上の公的資金の投入はしないぞという理屈を貫くためです。

では「公助」とは何かという話になりますが、実は生活保護だけがそこに残るのです。しかも、生活保護を受けることを恥とする世論作りがなされ、基準の引き下げが強行されていますので、社会保障全体の公的性格はどんどんやせ細っています。

これが地域包括ケアシステムの本当の姿です。それは結局のところ孤独死、放置死、餓死の事例をうず高く積み上げて、年間170万人死亡時代をやり過ごそうということにほかなりません。
 
こういう事態を防ぐには医療保険や介護保険を保険主義から脱却させて医療保障、介護保障に作り変え、思い切った応能主義による大企業負担強化、累進課税の強化による税収増で社会保障費を大幅に引き上げ、医療介護の内容と労働者の待遇を大幅に改善することが急務になっています。
 
 ⒉   次に、真の地域包括ケアと小野田診療所のリニューアルの関わりについて述べたいとおもいます。

今回のリニューアルの特徴は単純に建物を新しくするにとどまらず、これを機会に真の地域包括ケアを形成する拠点の典型づくりをめざし、そのためにも医療生協健文会全体が飛躍するという目的を明確に意識していることです。
2010年時点での山陽小野田市の人口は6万4千人、うち65歳以上は27.3%、75歳以上だけでは14.1%と、すでに超々高齢社会に突入しています。大都市圏とは違って、これから2025年に向かって急速に高齢者が増えるという状況にはありません。
しかし、山口県全体に共通することですが、人口減少、少子化に歯止めがかからず、高齢者の孤立や、サービス供給不足は確実にかつ深刻に起こってきます。
この事態を、政府のもくろむ地域包括ケアシステ向けに対抗して、真の包括ケアを実現することが、小野田診療所を中心にした医療生協の医療・介護複合体の役割であり、それに向かって診療所自らが変容するということがリニューアルの真の課題と言って過言ではありません。

しかし、こうした壮大で人を奮い立たせる目的を持ちながら、それを成し遂げる主体的力量、なかんづく職員育成は不十分なまま経過しています。これが今回の建て替え事業における大きな問題点となっています。

医科歯科部門では、現在の職員が奮闘して自らの仕事を輝かせることのなかで、一緒に理想の診療所を作りたいという青年医師が参加することを期待して、これまでの診療所の医療活動の枠を破った職員配置などを検討する意義があると思います。

介護部門にはむつかしいところがあります。この分野では介護保険制度という制約が全体にかぶされているため、自治体の業務認可という条件が常に付きまといます。それによって、主体的な準備が不足していても、好機を逃すとその事業が永遠にできないという事態も生じます。場合によっては、まず認可されてのち職員を育成するということが必要な場合もあります。実は、現在がその状態であり、今年中にも小規模多機能事業所とグループホームの開設が認可されれば、多数の介護職員を配置してただちに開設準備に当たることが必要となります。

最後に、最も重要な課題として、住民介護ボランティアが今後官製で大量に組織化されるのに対抗して、医療生協組合員を軸にした自主的運動体としてのボランティア集団を作り出す必要性が挙げられます。この集団こそ、ボランティア活動の中で磨いた地域ケアへの視点と知識を武器に、医療保険や介護保険の抜本的な改善、特養の充実、介護療養病棟の存続、地域ケアの脱医師化反対などを主張しながら、真の地域包括ケアを自らの力で生みだす市民運動の本隊となるものです。

政府の政策では、高齢者の生活支援を丸投げする対象としての地域住民が、その立場を逆手にとって、地域ケアのあり方を自らの手で決める強力な勢力として登場してくるわけです。こんな心躍ることはないのではないでしょうか。

以上、簡単ですが、小野田診療所リニューアルの本格的スタートを目前とした時点でのご挨拶と致します。

議長は恒例によりS常務理事にお願い致します。
 

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