« 生存権と健康権の関係 | トップページ | HPH運動 と SDH »

2012年9月14日 (金)

小熊英二「社会を変えるには」講談社現代新書2012を読みながら思ったこと

2009年、「1968」を書いたあと意識不明になり1年間、入院を含む療養生活を送っていたことが、「終わりに」に書いてある。医師である身としては病名が気になるが、全快したとのことなので心配ないのだろう。

自分より若い著者が現代の歴史を俯瞰的に説明してくれると奇妙な気がするものである。本当にそうかな、と思いながら読み、著者より若い人はこれをこのまま信じるのだろうと思うと、年長者はこの売れている本にもっと注目し注文をつける必要があると感じる。
それが広がると、小熊英二氏個人が現代史を書くのではなく、小熊英二の本をたたき台にした集団的な現代史が可能になるのではないだろうか。

そこで、順不同にこの本を読みながら、思いついたことを記録して行きたい。この本自体は極めて読みやすいものなので、抜き書きの必要はなさそうである。

○88ページから121ページまで党に関する記述がなされ、2000年に日本共産党が「大衆の教育程度が低く、政治や言論の自由が少ない発展途上国に適合する」少数精鋭の党であることをやめたことも書かれている。

それをよみながら、僕がふと思ったのは、これはある種の「解党」ではなかったか、そして、今は1926、27年に福本主義が流行した時代に似てきたのではないかということである。

実は、このことは2007年2月15日のこのブログでも書いた。不破さんの「日本共産党史を語る」を読みながら僕は次のようなメモを残している。

<○山川主義による解党論と戦った福本和夫の「分離結合論」は、労働組合や無産政党運動など革命的左翼が旧勢力から分離して独自組織をつくり、党がやるべき的活動をこれら各組織が個々に担うというもの。これでは党組織建設という方針は出て来ようがなかった。

しかし、福本主義による党再建時代、民主運動は大きく前進した。

当時の小林多喜二の小説にも労農党や日本労働組合評議会がまるで政党であるかのような活動をし、周囲もそれを当然と思っている様子がありありと描かれている。(*「東倶知安行」がそうだろう。あれは労農党の選挙応援の話だった。)>

が不要になったあと、社会を変革する運動に必要なのは、無数に広がる小さな運動の自主性を尊重しながら、大きな目的で結びつける架け橋である。それは、いわゆる「民主団体」が党に頼らず、自らの意思で努力すべきことなのではないだろうか。

全日本民医連が第40回大会で、自らを社会の諸運動の「架け橋」と規定したことは、「現代に復活した福本イズム」だったと、後の時代から評価されることだったろう。

|

« 生存権と健康権の関係 | トップページ | HPH運動 と SDH »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 小熊英二「社会を変えるには」講談社現代新書2012を読みながら思ったこと:

« 生存権と健康権の関係 | トップページ | HPH運動 と SDH »