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2012年8月24日 (金)

健康権と生存権に関する議論のメモ

基本的人権の基礎にある権利としての、健康権と生存権の異同は議論が続いている。

昨夜の民医連の会議で議論したことがある程度有意義だったので、ここでメモしておきたい。

◎マザー・テレサが「目の前の困窮した人が私の援助対象で、貧しい群衆は遠かった」と言っているように、生存権は目の前の人の生存を守ろうとする直観に支えられるものだが、健康権は直観ではなく理性的認識によるもの。生存権からスタートしながら、視野を広げて健康権に進んでいくべきなのだ。

◎生存権は最も困窮した人々を対象とするハイリスクアプローチ、健康権は健康の社会的勾配全体を対象とするポピュレーションアプローチだ。保健予防と同じで生存権から健康権に進まないと、基本的人権を根づかせる運動の広がりも望めない。

◎生存権はドイツのアントン・メンガー(1841ー1906)とワイマール憲法から森戸辰男(1888ー1984)・福田徳三(1874ー1930))らが日本国憲法25条に引き継いだドイツ法学的な概念。これに対し健康権は英米法的概念(これは未確認 戦後のWHO憲章などで確定したものなので、主たる戦勝国の法体系から発生していると推定したものである)。こちらが世界の主流になっている。後者によると生存権は「殺されない権利」でしかない。これは日本国憲法では13条の規定で、25条ではない。

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