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2012年8月24日 (金)

医療機関からみた健康の定義の変化 主観的健康感の危うさも含めて

1948年のWHOの健康の定義は、単なる身体的健康から、精神的、社会的健康に視野を広げ画期的なものだったが、「完全に良好な状態」と静的に定義したので、永遠に到達不可能なものとなり、医療保健の実践の現場では有用性を失って行った。


*日本WHO協会のサイトには以下のような文章がある。

「WHO憲章では、その前文の中で「健康」について、次のように定義しています。Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. 健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)この定義によって、WHOでは、医療に限定されず幅広い分野で、人々の健全で安心安全な生活を確保するための取り組みが行われているのです。 この憲章の健康定義について、1998年に新しい提案がなされたことがあるということはご存知でしょうか。Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
静的に固定した状態ではないということを示すdynamic は、健康と疾病は別個のものではなく連続したものであるという意味付けから、また、spiritualは、人間の尊厳の確保や生活の質を考えるために必要で本質的なものだという観点から、字句を付加することが提案されたのだと言われています。 この提案は、WHO執行理事会で総会提案とすることが賛成22反対0棄権8で採択され、そのことが大きく報道されました。そのため、健康定義は改正されたと誤解している人も多いのですが、その後のWHO総会では、現行の健康定義は適切に機能しており審議の緊急性が他案件に比べて低いなどの理由で、審議入りしないまま採択も見送りとなり、そのままとなっています。日本語では、mental も spiritual も同じく精神的と訳してしまいそうになるのは、宗教に希薄な国民性のためかも知れません。ともあれ、どう翻訳すべきかを考えてみることも、私たちが「健康とは何か」を考えるヒントのひとつになるかも知れません。 」 

この文章でも分かるように、1948年定義を変更する試みは1998年に行われたが、WHO総会には取り上げられず、変更されないままに終わっている。2011年に多くの研究者が連名でもっと有用性のある定義の案をBMJに発表した。

その文章の訳はこのブログでもすでに取り上げた。

昨夜、その経過を、民医連の会議で紹介した。話が下手なので参加者の興味を十分引きつけるにはいたらず、残念な思いが残ったが、僕自身には一つの発見があった。

それは猪飼周平君の「病院の世紀の理論」と関連している。

僕なりに言ってみれば、医療機関が関わる健康の定義に関連して次のような変化が起きているのである。

◎20世紀は病院治療による疾患の完全回復状態を健康と定義した。

◎これに対し21世紀は、地域包括ケアの中でのQOLの不断の向上努力がなされることそのものが健康と定義される。
大切なのは、QOLの理解である。それはWHOの健康の社会的決定要因(SDH)委員会が示したフレームワークや、日本では内閣府が試案を出した幸福度測定の模式図と類似の発想である。多岐にわたるSDHの充足度を基礎に、それを個人の主観にも反映した健康感も加えて、QOLは測定され、理解されるのである。

ただし、主観的健康感については慎重な取り扱いが必要になってくる。アマルティア・センが発見した適応的選好の存在である。典型的には、男尊女卑社会に適応した女性の感じる男性に従属することへの満足感などに基づく健康感は評価しうるのかということである。主観は常にそういう危うさを秘めていることを常に自覚しておかなければならない。

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