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2012年8月21日 (火)

地域包括ケアと小野田診療所リニューアル

ぼくが理事長をしている医療生協の機関紙向けに、上記の文章を頼まれて書いた。ついでだから、ここにもアップしておくことにした。

あまり気が乗らないまま書いたのだが、だいたい新しい発見は、そういう嫌々押し付けられた仕事からやってくるものである。自分から手をあげ野心を持って着手したもので、いい仕事ができたためしがない。
といって、以下の文章が、格別新しい発想に満ちていると思っているわけではない。ただ、地域包括ケアについて、しばらくの間、自分の課題として取り組む契機にはなったといえる。

こういう仕事を押し付けてくれた人に結局は感謝することになる。


地域包括ケアと小野田診療所リニューアル
 はじめに
 2012年8月10日、「社会保障と税の一体改革」の手始めとして消費税増税法と社会保障制度改革推進法が民主・自民・公明の三党により強行可決されました。これにより2014年4月8%、2015年10月10%と消費税率が上がる予定となりました。
「増税しても消費税収入は全て社会保障に使うので安心して下さい」と野田首相は言いました。たしかに消費税は社会保障のみに充てるのかも知れませんが、これまで社会保障に充当されていた別の財源は大企業本位の公共事業や成長戦略に新たに配分されることが決まっています。財源の付け替えをしただけで社会保障費は増えず、増税分の使い道がさらに反国民的になっただけです。これだけでも大ペテンと言えますが、社会保障制度改革推進法で「社会保障の財源は消費税に限る」としたことはあまり知られていません。しかしこれはきわめて重大なことでした。
そもそも社会保障費用は消費税だけでは賄いきれるものではありません。現行の社会保障でも消費税だけやっていこうとすれば税率20%がすでに必要です。今回の増税で追いつきようがありません。となれば、今後は消費税の枠内に収まるように社会保障の大削減を行いつつ、社会保障充実の声が上がれば消費税の大増税を突き付けるということがこの法律の目指す方向です。
この仕組みの小型版はすでに2006年に始まった後期高齢者医療制度にありました。高齢者医療費に充当する公的資金の総額を決めてしまい、医療内容の改善にかかる費用の伸びは高齢者の保険料値上げのみで賄うとしたため、全国の高齢者の激しい怒りを買いました。民主党政府は一度これの廃止を決めながら結局は継続していますが、さらにその大型版を全国民対象に用意したというわけです。
 そして、際限のない消費税増税と社会保障削減路線の終着駅の名前こそが、地域包括ケアシステムです。
 そこで、今日は地域包括システムが具体的にどのようなものであるかを簡単にご説明しながら、医療生協健文会の今年度の最大の事業課題である小野田診療所のリニューアルとの関連をお話ししたいと思います。 
 
Ⅰ  地域包括ケアシステムとは何か
 本来、地域包括ケアとは「国民の健康な生活を確保するため、医療・介護・福祉が一体となったサービスが、地域という日常生活範囲の中で必要十分に提供される体制」という意味合いで、地域医療学における重要な概念であり、目標でした。最近は、この中で使われる健康については、単に病気がない状態、あるいは治療により病気から回復した状態だけを意味することを超えて、生活の中身(QOL)の向上が絶えず図られている状態だとする考え方が強まり、そこには主観的な健康感や社会的な公平さが大きく影響するという研究も深まっています。
しかし現在の政府が「社会保障と税の一体改革」のなかで提唱している「地域包括ケアシステム」は、この言葉だけをつまみぐいしたもので、真の地域包括ケアとは縁もゆかりもないものです。政府の政策が学問の進歩をつまみ食いして、反国民的政策を美化するのに利用することはこれまで何度も行なわれてきたことです。国民の健康に本当に役立つものではありません。
したがって、政府のいう「地域包括ケアシステム」についても、その名前に惑わされず、実際に何をしようとしているかを見ることが重要です。
政府の提唱する「地域包括ケアシステム」は端的にいうと①居住の重視に名を借りた高齢者入所施設の解体と、②地域ケアの脱医療化③自助、互助、共助、公助の有機的連動に名を借りた国・自治体の責任の住民ボランティアへの丸投げにほかなりません。
政府の政策の下敷きにされた「地域包括ケア研究会報告 2009年、2010年」のなかにある「2025年の地域包括ケアシステムの姿」の章を見ると2025年から始まる超高齢社会と多死時代のピークを政府がどう迎えようとしているかがよく分かります。
その章はサービス提供体制と、ケアを支える人材のあり方の二つの項目で構成されています。
「サービス提供体制」の項目を見ると、すでに介護療養病床(現在10万床)は廃止されています。医療療養病床(同26万床)と老人保健施設(同31万床)は、在宅復帰に向けてのリハビリ施設という位置づけにして長期入所は出来ないことを明確にしています。特別養護老人ホーム(同42万床)は「見守りと生活支援のある集合住宅」と位置付けられ、医療・看護・介護は外部の業者に委託されることになっています。かつ、建て替え時にはかってのような大型施設ではなく、民家を改築した小型の集合住宅にするとされています。こうなるとサービス付き高齢者住宅と大差はありませんから、特養そのものが無くなると同じです。これを捉えて「特養の長期待機」は自然に解消されると大見得が切られているのを読むと、怒りを通り越して笑いがこみ上げるほどです。サービス提供体制の柱である「居住の重視」は人権としての居住や居住福祉の実現のことでなく、高齢者入所施設の解体と、外部業者からのサービス購入が前提の「サービス付き高齢者住宅」建設にほかならず、まさに貧富の格差が介護の格差に直結するシステム作りとなっています。
ここで、私の考えを述べると、これまでの研究で終末期の生活の質(QOL)が最も高かったのは自宅ではなく、実は廃止が決定されているはずの介護療養型病床と老健だった(産業医大 松田晋哉)ことに注目すべきだと思います。在宅を無条件に最良のものとするのは、政府の世論誘導で作られた「神話」に他なりません。真の地域包括ケアの中には、地域と密接に結びついた高齢者入所施設体系が必須であり、医療療養病床、介護療養病床、老人保健施設、特養という現行の入所施設体系はそれなりに日本の実情に合致した合理的なものなのです。その最大の長所は、医療と介護と生活援助が、「外付け」の名で別々の業者から切り売りされるのでなく、一体のものとして一つの施設の職員集団から提供されるところにあります。これを縮小、解体していく政策は人権に逆行しているものでしかありません。
 
次に、「ケアを支える人材」の項目では、高齢者入所施設解体によって国民から湧き上がる不満をごまかす工夫があれこれ書き込まれています。しかし、人件費の削減が第一の課題なので、結局はとんでもないことばかりが計画されざるをえません。
まず介護者としては家族が基本だとされます。すなわち「自助」の精神の強調です。
家族を援助する職種のなかで、特に医師の役割が変化します。現在は定期的に訪問診療して患者の様態の変化を素早く把握していますが、今後は在宅医療開始時に「指導」するだけの役割にされようとしています。
代わって定期的な病状観察や死亡時の看取りは看護師の役割となります。
そして、これまで看護師がしていた褥瘡処置や喀痰吸引などの身体介護は介護福祉士(ホームヘルパー)がします。看護師や介護福祉士の活動スタイルも変わり、長時間付き添って患者のお世話をするのでなく、24時間、地域のなかをめまぐるしく短時間ずつ巡回訪問します。
ではこれまで介護福祉士がしていた日常生活の援助は誰がするのでしょう。それは民間のボランティアがするのです。家族を第一の介護者として位置付けても、在宅ケアをやり通せる家族など存在しないことは最初からわかっています。そこでボランティアに「互助」という立派な呼び名が割り当てられ、ケアの中心的位置が与えられています。地域住民をボランティアに組織することを「居宅生活の限界点を高める」と呼んで、一般病院からの患者の追い出しの口実にしようとしているのには、言葉って本当に便利なものだと思います。
こうして、介護する人材の役割を一つづつ上に上げ、結局は金がかかる医師を落としてしまうこの仕組みを、識者は「地域ケアの脱医療化」と呼んでいます。
本来、最も頼るべき医療保険や介護保険は、「共助」という名前を与えられ、一段低い位置に引き下げられました。これは医療・介護サービスに不満があれば自ら保険料を挙げるしかないぞ、今以上の公的資金の投入はしないぞという理屈を貫くためです。
では「公助」とは何かという話になりますが、実は生活保護だけがそこに残るのです。しかも、生活保護を受けることを恥とする世論作りがなされ、基準の引き下げが強行されていますので、社会保障全体の公的性格はどんどんやせ細っています。
これが地域包括ケアシステムの本当の姿です。それは結局のところ孤独死、放置死、餓死の事例をうず高く積み上げて、年間170万人死亡時代をやり過ごそうということにほかなりません。
 
ここで私の考えを述べると、こういう事態を防ぐには医療保険や介護保険を保険主義から脱却させて医療保障、介護保障に作り変え、思い切った応能主義による税収増で社会保障費を大幅に引き上げ、医療介護の内容と労働者の待遇を大幅に改善することです。それは地域経済を好転させることに直結します。ただし、この構想は、「日本の医療介護の再生プラン」とでも言うべき大きなもので、ここで語りつくせるものではありません。
 
Ⅱ 真の地域包括ケアと小野田診療所のリニューアルの関わり
  小野田診療所は1978年に内科だけの無床診療所としてスタートしましたが、現在までに歯科を併設、さらに同一市内に訪問看護ステーション、同サテライト、ディサービス、ケアマネージャー事務所(正式には居宅介護支援事業所)が開設されており、小規模ながらも山陽小野田市内全域をカバーする医療・介護複合体を形成するに至っています。宇部協立病院との人事交流は密接ですが、医療活動では山陽小野田市内の医療機関との連携が圧倒的です。宇部協立病院と一体性が強い生協上宇部クリニックに比べると独立型診療所の要素が強いといえます。
 建設後35年目で建物の老朽化が著しいので建て替え(リニューアル)の必要性が今年の生協総代会でも認められ、その準備がいま精力的に進んでいます。
今回の建て替えの特徴は単純に建物を新しくするにとどまらず、これを機会に真の地域包括ケアを形成する拠点の典型づくりをめざし、そのためにも医療生協健文会全体が飛躍するという目的を明確に意識していることです。
2010年時点での山陽小野田市の人口は6万4千人、うち65歳以上は27.3%、75歳以上だけでは14.1%と、すでに超々高齢社会に突入しています。大都市圏とは違って、これから2025年に向かって急速に高齢者が増えるという状況にはありません。
しかし、山口県全体に共通することですが、人口減少、少子化に歯止めがかからず、高齢者の孤立や、サービス供給不足は確実にかつ深刻に起こってきます。
この事態を、政府のもくろむ地域包括ケアシステムに沿って高齢者入所施設解体、脱医療化、生活支援のボランティア丸投げという方向に進ませないことが、小野田診療所を中心にした医療生協の医療・介護複合体の役割であり、それに向かって診療所自らが変容するということが建て替えの大きな課題です。
自ら地域ケアの真ん中で苦闘しながら、真の地域包括ケアの形成の立場で市にも他事業所にも広範な市民にも影響を与えることのできる職員集団、ボランティア集団、住民集団を作り上げることが最終的な目標となります。
しかし、こうした壮大で人を奮い立たせる目的を持ちながら、それを成し遂げる主体的力量、なかんづく職員育成は不十分なまま経過しています。これが今回の建て替え事業における大きな問題点となっており、この小文を私が書く本当の理由でもあります。
 
そこで課題をいくつか具体的に見ていきましょう。
医療では、医科、歯科とも日常の外来診療の質の向上に努めることは当然ですが、在宅医療、終末期医療、施設との連携は飛躍させなければなりません。それには何といっても医師、歯科医師の増員が必要です。診察室で患者さんが来るのを待って行う治療だけでなく、外に出る医療・総合診療に意欲を持つ医師集団を養成し、かつ彼らを支える強力な職員集団を配置しなければなりません。
ただし、これは急務とはいっても、一朝一夕にできることではなく、現在の職員が懸命かつ地道に自らの仕事を輝かせることのなかで、一緒に理想の診療所を作りたいと共感する青年を獲得していく以外にはできないことです。現在の職員を輝かせること、そのための研修(キャリア・アップ)支援が医療生協全体で必要です。研修の中では医療生協内外の経験を豊富に身につけなければなりません。たとえば、終末期医療でユニークな業績を挙げている鳥取県の野の花診療所なども、医療生協外の診療所という偏見なく見学してみてはどうでしょうか。さらに、発想と活動の幅が広がれば、医療連携に専念する職員、患者の生活援助に専念する職員、医系学生の診療所研修受け入れに専念する職員など、これまでの診療所の医療活動の枠を破った職員配置などを検討する意義があると思います。繰り返しになりますが、それらは一歩一歩の歩みです。
難問は介護部門にあります。この分野では介護保険制度という制約が全体にかぶされているため、自治体の業務認可と補助金獲得という条件が常に付きまといます。それによって、主体的な準備が不足していても、好機を逃すとその事業が永遠にできないという事態も生じます。場合によっては、まず認可されてのち職員を育成するということが必要な場合もあります。実は、現在がその状態であり、今年中にも小規模多機能ホームとグループホームの開設が認可されれば、多数の介護職員を配置してただちに開設準備に当たることが必要となります。こうして突然に待ったなしの課題が生じるという点が、医療分野とは大きく違う特徴であり、長期的視野を持った経営幹部の役割が大きく問われる局面でもあります。
さらに、高齢者住宅問題は小野田診療所でも避けて通れません。「サービス付き高齢者住宅」を中心に資産のある高齢者を対象にした住宅建設だけが進行している中で、医療と介護と生活支援が一体化した居住をお金の心配なく保障することは医療生協の診療所だからこそ可能になることです。協同組合間協力、地域自治会との協力など、安くて良質で、かつケアを内在化させた高齢者用住宅を建設する可能性をあらゆる方面から探ってみるべきです。
最後になりましたが、最も重要な課題として、住民介護ボランティアが今後官製で大量に組織化されるのに対抗して、医療生協組合員を軸にした自主的運動体としてのボランティア集団を作り出す必要性が挙げられます。この集団こそ、ボランティア活動の中で磨いた地域ケアへの視点と知識を武器に、医療保険や介護保険の抜本的な改善、特養の充実、介護療養病棟の存続、地域ケアの脱医師化反対などを主張しながら、真の地域包括ケアを自らの力で生みだす市民運動の本隊となるものです。政府の政策では、生活支援を丸投げする対象としての地域住民が、その立場を逆手にとって、地域ケアのあり方を自らの手で決める強力な勢力として登場してくるわけです。こんな心躍ることはないのではないでしょうか。
 
終わりに
以上申し上げたように、小野田診療所のリニューアルは、単なる施設建設ではなく、政府の地域包括ケアシステムに全面的に対抗する総合的な運動です。この運動を担う人づくりが職員レベルでも組合員レベルでも何より重視されなければなりません。そして人づくりの中では、政治権力への批判的視点と、みずから真の地域包括ケアを作り上げる創造性が不可欠のものになると最後に申しあげて、この小論を終わります。

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