児玉聡「功利主義入門ー初めての倫理学」ちくま新書2012年7月・・・側頭葉の内部にある偏桃体で行う直観的認識と前頭葉基底部の理性的認識の結論の違いが倫理的な問題として認識される
以前、南山大学社会倫理学研究所の紀要に、児玉聡氏が訳したイチロー・カワチら「健康格差と正義」勁草書房2008の書評を掲載してもらった。以来、南山大学社倫研からは親切に発行物を送っていただいている。そういう意味では、その名前に親しみを感じる著者の本である。
実は「先生は功利主義なんて嫌いでしょうが、実はすごく面白いんですよ」と東京健生病院院長の根岸医師から勧められて手にとったのである。彼はいつも面白い本を紹介してくれる。慶応の印南氏の名前も彼から初めて聞いた。
さて、最初の1/3はおとなしい書きぶりである。サンデルが白熱教室で使ったトロッコ問題が出てきて、ここでもこの話を読むのかと少し退屈になる。
面白くなるのは第5章「公共政策と功利主義的思考」からである。公衆衛生の倫理学が医療倫理学とは別に大きな問題となっている。端的に言うと、キューバのように予防接種を政府が強制するのがいいことなのかどうかという問題である。
第6章「幸福について」では、僕が最近構想している、SDHの充足度+それを反映した主観的幸福感=QOLという話と響き合う記述が現れる。政府が、僕の構想とほぼ同じ枠組みでできている「幸福度指標」を提案しているのも初めて知った。
アマルティア・センの発見した「適応的選好」の問題も分かりやすく説明されている。男尊女卑の社会で男性に尽くすことに幸福を感じる女性の幸福は本物だろうか、という問題である。主観的幸福感は実はきわめて危ういことがわかる。
第7章で展開されているスロヴィックの主張する道徳心理学の話がこの本の中では最も面白い。
実は、先週、大阪大学での公衆衛生セミナーでイチロー・カワチから行動経済学の講義を聞いたばかりだったので、あまりの偶然に自分でも驚いた。
人間の思考には二つのシステムがある。System1は側頭葉内側にある扁桃体の機能であり、経験と直観で判断する。System2は腹内側前頭葉皮質VMPC(これはおそらく前頭葉基底部のこと)の機能で、倫理的、理性的な判断をする。これが、道徳心理学と行動経済学の共通の基礎になることである。
トロッコ問題で人間が感じる戸惑いは、二つのシステムが違う結論を選ぶからである。多くの倫理的ジレンマはこの種の問題と考えられる。
では、この認識が倫理問題を解決するかと言うとそうではない。重要なのは人間はそのように考える生得的傾向を持っているということを意識しながら、自らの頭で倫理的判断をしなくてはならないということである。
この辺りはページをめくるのももどかしいほど面白い。
根岸君が一晩で読み上げたというのも良くわかる。公衆衛生に限らず、医療に携わるみんなにぜひ読んで欲しい好著と言えよう。
「功利主義入門」なんて最初から嫌われる書名にしないほうが良かったのになぁ。
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