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2012年7月15日 (日)

7/14-7/15 胃静脈瘤破裂の緊急内視鏡のあと出張―日本プライマリ・ケア連合学会認定試験に挑戦(60の手習い)―国立西洋美術館「ベルリン国立美術館展」

日本プライマリケア連合学会の認定医試験を受けに土曜日、日曜日と余分な出張をした。

○土曜日は午前中診療所に出向いたが、午後になって後期研修医から、共同主治医になっている52歳の非代償性肝硬変の入院患者が急速に貧血の進行を見せているという報告を受けた。

病室にいくと真っ白な顔。進行性の黄疸が目立たなくなっている。

食道静脈瘤はそれほど発達していなかったはずと思いながら、緊急内視鏡の準備を始める。

この前、ゴム輪が10連発の新しい結紮器具を購入しておいたから、いつも上部食道の穿孔を起こすのではないかという心配をしながら使っていたオーバーチューブを使わずより安全に止血処置できるはずである。

始めると、食道静脈瘤には変化がなく、胃の噴門直下に大きな胃静脈瘤ができて盛んに出血している。あらかじめ新しい結紮器具を先端部を装填しておいた内視鏡に変えて、止血にかかる。

しかし、そうすると内視鏡の先端が太くなって食道挿入そのものが難しい。ようやく胃の中に入るが出血も続いており、視野も狭く、うまく静脈瘤を捉えにくい。

が、何とか一発ゴム輪をかける。出血が止まる。輸血も届いた。

一時的には救命できたか、と思いながら病室に患者さんを帰し、研修医に中心静脈確保をしておくよう伝える。

その後、病室に行くと、意識がない。ああ、やっぱりダメだったか。

こうなっても全くの一人暮らしで、連絡するべき人もいない。 後は研修医と同僚に頼んで空港に行ったが、空港の待合室で、死亡の報を聞く。

医療側からみれば禁酒の動機付けに失敗し続けた敗北の事例である。

土曜日午後のため市役所の生活保護担当職員に連絡が取れず、遺体の引き取り手がいないのを研修医が悩んでいる。これは何とかなるだろうと出発する。

赤坂のホテルに着いたのは10時をすぎていた。コンビニに出かけ、ビールとつまみを買う。明日の試験の予習をるつもりだったがすぐに眠る。

○日曜日午前は、永田町の砂防会館で、300人くらいの人と一緒にプライマリ・ケア連合学会の指導医養成講習会。

道が分かりにくい。余裕を持って出たはずなのに遅れそうになる。そのとき初期研修時の1年先輩で今は兵庫の宝塚診療所にいる脇野先生がわき目も振らずに会場に向かっているのを発見した。その後をつけると地図を見ることもなく苦も無く会場に着く。

脇野先生は昔から一所懸命になっているのが分かりやすい人である。しかし、なぜか時間に遅れることも多く一所懸命に急がなくてはならない状況を自ら作りやすい人でもある。・・・くも膜下出血で死亡した野元先生とは鹿児島大学の同級生で、二人で僕の研修を指導してくれた恩人について僕は何という悪口を言っているのだろう。今日も期せずして道案内をしてもらったというのに。

講習会では家庭医療の中心概念である患者中心の医療と家族志向型ケアについて主に学ぶ。

どこの世界にも作法はある。家族図の書き方にも作法があるのだということに感心する。

○午後は同じ場所で認定医試験。必須4問、選択2問で2時間。

臨床上の疑問を解決する研究を問う問題。なかなかいい問題だ。それを解決する架空の研究をデザインして、想定すべきアウトカムなどを書いて仕上げ、1ページ先に進むと、そこにはPubMedで探したRCTのメタアナリーシス論文がある。これを読んで、それがどういう研究デザインだったのか、どういうアウトカムだったのかをただ読みとる問題だったのである。

次のページに2次情報として探しだした英文論文があるなどと本文のどこにも書いていないじゃないか。憤慨しながら20分のロスを悔やむ。

それやこれやもあって2時間はあっという間に過ぎる。

後から思ったことが二つ。

①具体的なものの名前の想起が難しくなっている。

たとえば糖尿病の「食品交換表」の名称が思い出せず、「糖尿病協会が出版している食事療法のパンフレット」などと書かざるをえなかった。

ある用語が思い出せないということ自体が焦りを生んで、次の用語がまた想起しにくくなる。

なんと「ベンゾジアゼピン系」、も思いだしにくくなっていることに愕然とする。

おちつけば、すらすらと出てくるのだが、これは筆記試験に絶対不利である

この年になって試験など受けないほうがいい。

むしろ僕が受けるべきは患者としての「物忘れ外来」である。

②自分の日常診療を言語化する努力が足りなかったこと。たとえば高齢者を診察して、ADL、IADLを測定することは習慣的になっているので、「ある患者の在宅医療に入るまでに必要な評価項目」を質問されても、それがすっぽり抜け落ちてしまう。

これはモイラ・スチュアートさんたちが、南アフリカから来たレーベンスタイン医師というきわめて優れてはいるがあまり自分の手法に自覚的ではなかった家庭医の診療スタイルを詳細に研究して、ついに「患者中心の医療(PCM)」を体系化したのと同じで、実践と学問の違いである。

コーチングなども、たとえば野村監督など良くも悪くも「天性のコーチ」といわれる人の行動をつぶさに観察することから、誰でもが使えるコーチの技術を抽出して確立してきたのと同じである。

別に僕が、「自覚にかけるが実は天性の臨床医だ」「僕が研究するのでなく僕を研究すべきだ」という周知の事実を自慢しているわけではないことに注意して頂きたいが、しかし、認定医は、後継者の教育が必須の仕事だから、自分の仕事の合理性を言語で説明することが義務である。

言語化できない技法はいずれ消滅するのだから、すでにこの世に存在しないも同じなのである。

言語化の必要性を知るために試験はぜひ必要なのだ。

○そういうわけで、若干気落ちしながら、炎熱の東京を永田町⇒有楽町⇒国立西洋博物館「ベルリン国立美術館展」まで移動。隣接する都立美術館にフェルメールの「青いターバンの少女」が来ているのは重々承知しているのだが、それはもっと気分がいいときに見たい。

だから今日は別のフェルメールを見よう、ということである。

行列もできていない。ヨーロッパ美術の400年を学びながら進んで「真珠の首飾りの少女」の前に立つ。

以前に「リュートを調弦する女性」を、相当傷んでしまっているという話から期待もせずに見に行って、とんでもなく打ちのめされる気がしたのと同様な衝撃がある。

特別な照明でもしているのではないかと疑わせてしまうような、圧倒的な光の表現。小さな図版ではほとんど魅力的にはみえない少女の驚くような美しさ。

立ち去りがたい気になる

なぜ、この絵がほとんど美術の知識もない僕に、周囲の評価の高いその他の絵と全く違うと思わせるのだろうと思いながら、最終便の飛行機に乗った。

連休中日で空いていたので窓際に移動して夜景を見続ける。

一瞬でどこか分かってしまうほど見慣れた東京―千葉ー横浜―名古屋―大阪―神戸―岡山の夜景がいつもと違うような気がすると思いながら宇部に着いた。どう違うかはまだ言語化できない。

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