QOLとは何か?雑誌「現代思想」6ー2012 特集「尊厳死は誰のものか」; 小松美彦ー市野川容孝対談や中島孝「尊厳死論を超える」など
QOLという言葉が総じて恣意的に使用されている状況であり、そのなかで僕自身は健康の社会的決定要因SDHこそ、そのコンポーネントとして活用できると思いついた。
しかし、もっと正確にこれまでQOLをどう測定方法してきたか改めて学習しなければがならないと思っていた。
おりもおり、上記の雑誌の最新号がそれについてある程度回答を与えてくれた。中でも標題にしたこれらの対談や論文が役に立ったので、メモを作っておくことにした。
その前に同じ特集の児玉真美「『ポスト・ヒポクラテス医療』が向かう先」から。
194ページ「こうしてQOL指標によって命を切り捨てて行こうとする北米の医療の動きについては、あるMS(多発性硬化症)患者が2010年にカトリック系のサイトで『ポスト・ヒポクラテス医療』という表現を使って批判していた。」
「QOLが低すぎて治療コストに値しないと医療サイドから判断されれば、決してターミナルと言えず耐え難い苦痛を感じていない人たちからも一方的に治療が引き上げられるのであれば、死の決定権は、『にもかかわらず生きる』という方向への自己決定は認めず、『死ぬ」という一方向にしか認められない自己決定権ではないのか。そんなものが果たして決定権と呼べるのだろうか」
また大谷いづみ「犠牲を期待されるもの」から
206ページ「2011年4月には旧臓器移植法では除外されていた15歳未満の少年からの臓器提供が本人の意思不明のまま家族の承諾によって行われていたことがメディアで報じられたが、その後提供者となった少年が自殺であったと一週刊誌で報じられたままになっていることは気になるところである。」
僕自身、このことは全く知らなかったのである。
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