原子力村は「アテネ型民主主義」・・・それも褒めすぎ、民主主義のない奴隷制・・・加藤尚武「災害論」世界思想社2011年を読みながら #3
125ページ 板倉聖宣の言葉の紹介
「東海村はアテネ型民主主義です。上の研究者は公開・自主・民主の原則で民主主義をやっています。下は奴隷のように、満足な安全教育なしに危険な作業をさせられている。こういう体制では必ず大事故が起こるので、どんなにいい条件を持ちかけられても東海村に就職しないように」
以下は私のささやかな体験:
日本医師会の産業医講習会で、火力発電所を見学したことがある。
ざっと工場内を案内されて清潔で快適なオペレーティング・ルームに集合。
コーヒーを振舞われて恒例の質疑にはいる。
こういうとき、僕がする質問は定型的である。
「ここにはどういう危険な作業がありますか」
「全くありません」
「従業員の健康診断では何か問題がある傾向がありますか」
「なにもありません」
僕は絶句して質問を止めた。
聞きたい質問を用意していたのだが空気を読んだのである。
(煙突から作業員が転落死したのはなぜだったのか。)
(貯蔵していた石炭が発火した時、誰が消火し誰が死んだのか。)
そんなことは何もなかったように、医師会幹部と電力会社の協力で企画された学習会は終わった。
オペレーティングルームに働く職員同士はコミュニケーションもよいらしく、リクリエーションの計画表なども張り出してある。
彼らの快適な勤務のまさに物理的な真下で、あるいは真上で下請け業者の命をかけた作業が続いているのである。
火力発電所でさえこうなのだから、原発では、原子力村に住む貴族と、現場で働く奴隷の隔たりは想像を絶するだろう。
奴隷は1999年9月のJCOでのように高濃度ウラン235をバケツで扱い、全身の皮膚と粘膜を失うのである。
実は板倉氏の言う上層部の民主主義も怪しい。 安斉郁郎氏や小出氏など異端者への仕打ちを見ていると、そんなものは実際には存在せず、実在するのは奴隷制だけなのだろう。
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