問題は基本的人権の論理的根拠だ・・・小林正弥「サンデルの政治哲学」平凡社2010第2講「ロールズの魔術を解く」を読みながら考えたこと
ジョン・ロックが言ったように、人々が集まって契約を結んで国家を創立し基本的人権を定めたと考えることができたらどんなに楽だろう。
あるいはジャン・ジャック・ルソーのように、人権は天賦のものであり、議論する必要のない、世界の公理だと言い切ることができれば、もっと楽である。
しかし、歴史上の事実として社会契約はなかったし、人間社会に超越論的な公理があるということを信じる人も少ない。
では、どうしたら、基本的人権の存在は証明することができるのだろうか。
これは繰り返し、僕を悩ましている問題である。
この難問を解くのに、ロールズは次のように考えた。
「典型的に人権を否定する考え方」を一つ呈示して、それを論理的に否定することができれば、人権の論理的基礎を見つけることができるかもしれない。
優れたアイデアである。
統計学で言う、帰無仮説を否定して自らの仮説を証明する方法に相当するといっていいだろう。
そこでベンサムの功利主義が取り上げられる。ベンサムのいうように「最大多数の最大幸福」をめざす社会では、幸福が10になる人を生むために。幸福が0になる人、すなわち他人の幸福のために殺されてしまう人が出てくることが容認される。これが人権という考えとは真っ向から対立するものであることは明らかである。
ではベンサムの議論には何が欠けているのだろうか。
ロールズは、「それは正義だ。共同体や宗教の慣習的な善ではなく、もっと普遍的な正義が欠けているのだ」と考えた。
したがって、その正義を定義できれば、正義に基づくものを人権として証明できるということになる。
ロールズは、先行研究としてカントを選び出し、現代風にカントを語りなおした。
否定されている社会契約説の代わりに、思考実験として、自分が社会のどの位置にいるか、また自分がどのような能力や資源を持っているか分からないという「無知のベール」をかけられた人々を想定し、彼らが同意することが正義だとし、これを普遍的な正義という意味で「公正としての正義」と呼んだ。
ロールズの正義の原理は二段階で構成されている。
まず、第一原理が「平等な基本的自由の原理」である。これに基づいて、基本的人権のうち自由権の存在が証明される。
次に第二原理は二つからなる。
一つは①「機会の平等の原理」である。人種や身分による差別を受けないことや、無料で教育を受ける権利、親の遺産で人生の出発点に差がつかない権利がこれから証明される。
もうひとつは②「格差原理」である。「自由」が保障されても、「機会の平等」が保障されても、人々の間に格差は生まれる。その格差を自動的に小さくする原理が「格差原理」で「経済的、社会的不平等はもっとも不遇な人の利益を最大化する仕組みを備えていなければならない」というものである。自由競争の結果、どんなお金持ちが生まれても、彼に課せられる税金は累進課税という仕組みで大きく、それによって底辺の人の生活は一定限度以上を保障されるというものである。生存権など社会権という基本的人権はこうして証明される。
これらの実質的な3原理は、「無知のベール」かけられれば誰もがたどりつくものだとされた。
これは「カント的リベラリズム」と呼ばれる。
*さて、このロールズの主張をサンデルがどう批判したかがこの本では詳しく述べられているが、実は僕にはそれはどうでもいいことである。
僕にとって重要なのは、以上のようなロールズの理論から出発して、ロールズがもっぱら理想的な制度、法律を想定し、それに近づくアプローチを取っていることを批判したアマルティア・センの主張である。
彼は、理想的な制度のアイデア探求を先行させることを否定して、現実に存在する不正義(それはロールズの定める正義に反するものであるとして問題ない)をなくす実践が最も重要だとした。
最も問題になる格差原理にしても、お金の分配だけしかロールズは言わないとセンは批判している。お金はもちろん必要だが、たとえば健常者と障害者に同じ10万円を渡してもそれで実現できる「可能性=選択の幅」は全く違う。
保障しなければならないのは実際に可能なこと、「可能性=選択の幅」である。
この主張から、健康戦略の実践を通じて健康の社会的決定要因SDHが発見され、最終的に「健康権」という人権の存在が証明されたといってよい。それによって社会の健康度が、その社会の人権の達成度のを測定する尺度となった。
**そして、特筆すべきは、センの批判を受け入れたロールズの柔軟性である。
実践と理念の往復活動=反照的均衡のスタイルがここで生かされているのだろうか。
それによって、ロールズは、センがイギリスやヨーロッパで健康権の確立に果たした役割と同じ役割を、アメリカで担うこととなった。
アメリカのSDH探求が基礎と頼る政治思想家はロールズなのである。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 雑誌 現代思想 6月号(2016.06.04)
- 内田 樹「街場のメディア論」光文社新書2010年(2016.05.11)
- 「『生存』の東北史 歴史から問う3・11」大月書店2013年(2016.05.10)
- デヴィッド・ハーヴェイ「『資本論』入門 第2巻・第3巻」作品社2016/3 序章(2016.05.04)
- 柄谷行人 「憲法の無意識」岩波新書2016/4/20(2016.05.02)
コメント
拝読しました。
しかし…センの「可能性派の幅」は、僕は経済の専攻なので要は実質的な可処分所得だなと解釈しましたが、この理屈では非常に太っている人も、(キングサイズの店でしか買えないため)標準体重の人の10万円分の服は買えないので追加の手当を出さねばならなくなるはずです。そうなると皆太り始めるのでは。
そこに引っかかりを覚えました。
投稿: | 2015年10月13日 (火) 09時04分
コメントありがとうございました。
異常な肥満は社会的な不利によってもたらされていることが多いので、肥満対策に公的なお金を使うことはおおいにありうることです。
それは被服費として余分な額を渡すというのとは少し違うのですが。
投稿: | 2015年10月13日 (火) 22時06分