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2012年5月29日 (火)

健康の社会的決定要因SDHとはQOLにほかならず、逆にこれまであいまいだったQOLの正しい定義がSDHによって与えられたともいえる

日曜日は東京に日帰りして民医連の看護師のトップが集まった会議で健康権について講演した。

しゃべり終えながら、なお釈然としないことがあったので帰ってきて考え続けていると、難しい言い回しを続けていたことが、実に単純に表現できることがわかった。

つまり、以下のようなことである。

1:

「病院の世紀の理論」2010年有斐閣で猪飼周平は、20世紀は「病院の世紀」だったが、21世紀は 「地域包括ケアの世紀」、あるいは「QOLの世紀」になると論じた。その変化をもたらしたのは、超高齢社会への準備などではなく、20世紀に粘り強く取り組まれた障がい者の福祉充実を求める運動だった。これが、ケアの世界に起こっている一方の大きな変化である。

2:

他方、もう一つ大きな変化がある。

それは健康権の確立である。

到達可能な最高水準の健康を享受することは基本的人権の中でももっとも基本的な位置にあるものである。

それは、圧倒的に多数の人々が資本に雇用されなければ生活できない、したがって健康を失うことや障がいを持つことが生存の最大の障害になってしまう資本主義の時代の刻印を帯びている。

健康権が基本的人権であることはこれまで何度も重ねて国際機関で宣言されてきた。

しかし、宣言が重ねられるということ自体、それを実現する健康戦略が存在せず、宣言だけに終わり続けるということを意味した。

だが、21世紀になってようやく、20世紀の病院医療に匹敵する有効性を持つ方法論が、膨大な疫学的知見を集めて出現した。

それが、 「健康の社会的決定要因」SDHのコントロールである。

幼少期の援助不足、劣悪な労働態様、失業、社会的排除、食生活の不良、薬物乱用、社会的サポートの不足、公共交通の不備など8要因が、健康の社会的決定要因、ここにいう表現をとれば「剥奪要因」として人々から健康を奪って行くことが明らかとなって、これら要因が適切な政策によって取り去られて行くことが健康戦略の最初の実体となった。

こうして、健康戦略は実質的なものとなり、それに支えられる基本的人権としての健康権は、宣言の中にのみ認められる空想的存在から科学的なエビデンスによって存在を証明されるものとなった。

3:ところで、上にあげた八つの健康の社会的決定要因、あるいは剥奪要因の共通点を抽出すると、自律、社会参加、社会的的支援(連帯)の三つが浮かび上がる。これは、アマルティア・センのいう人間の平等であるべきケイパビリティそのものである。

すなわち、ケイパビリティの縮小こそが健康の剥奪要因ということになる。逆に言えば、健康への到達度によってケイパビリティが、したがって社会の平等性が測定されるということになる。

4:しかし、自分にも多くの人にも理解が難しいケイパビリティという概念を使わず、私たちに馴染みやすいQOL=「生活と労働の質」を用いて説明することは不可能だろうか?。

それは十分可能である。そう考えることで健康の社会的決定要因の価値を低めてしまうということはない。

結局のところ、健康の社会的決定要因とはQOLのことだといえる。

そこには、主観的な健康感も客観的な健康の条件も含まれる。

*QOLを表現する際よく 使われる「その人らしく」とは「自律」に相当し、QOLのごく一部にすぎないこともわかる。

逆に言えば、これまであいまいだったQOLが上記のようなSDHの8要因からなっていることが明らかになったと言えるのである。

5:

もしそうだとすれば、「21世紀はQOLの世紀」ということは、ミクロなケアについても言えるし、そのまま、マクロな健康権についても言えることになる。

6:

こう表現すると、あれこれ考えたことが馬鹿らしくなるほど単純すぎて拍子抜けするが、ミクロからの探求とマクロからの探求がそこで一致し、ようやく輪が閉じたのである。

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