« 社会主義の誕生 | トップページ | 2012.4.28医療生協理事会での挨拶・・・・「健康権の主張は病院職員の悲鳴だ」 »

2012年4月27日 (金)

社会保障の権利の起源

久しぶりに小川政亮編集「人権としての社会保障原則 ー社会保障憲章と現代ー」ミネルヴァ書房1985年を開く。

なぜ社会保障は権利なのかという問題を考えるためである。

この本では、労働との関係でそれを説明している。1912年のレーニン労働者保障綱領が起源である。「賃金労働者が得る賃金は、十分な労働力の再生産費用に達していない。ケガや病気、老齢化、労働能力を失う障害の発生、失業に備えて貯蓄できるだけの賃金が本当は必要なのだ。したがって、その不足分は労働者保険という形で支払われる必要がある。」ということである。

この時に まず問題となるのは、賃金労働者およびその家族でない人々の権利はどう説明するかということである。これには、「経済的従属性」という概念が用いられる。独占資本を中心にした資本家階級に経済的に従属して、いわば一つの被害者集団が形成されており、その認識の上に立って、普遍的な生存権理念が法律のうえに定着する。

次に生得的な障害者の権利は、どうだろうか。この理屈では、その障害者が労働者の家族であるということを迂回してしか権利を保障されないことになる。 すなわち「障害を持って生まれた自分の子どもをきちんと養育するための費用も主たる労働者の労働力再生産費用のなかに含まれるべきだ」という主張によって,はじめて障害者の権利が保障されるということである。

これで多くの人が納得するだろうか。

「人間はただ人間であるというだけで、それだけで生きるに値する至高の価値を持つ。それはもはや考える必要のない『公理』だ」(エンゲルハートなどの唱える反倫理的「人格」概念などはそこに入り込むすきはない)と言い切る印南一路 「生命と自由を守る医療政策」東洋経済2011年の方が、政治的立場は反対でもすっきりする。

ただ、僕が危惧するのは、そんなふうに「公理」を濫用していると、本当に緻密に考えなければならない問題を無視してしまう危険に陥らないのだろうかということである。

レーニンが社会保障をどう考えていたか、という問題などは、上記のように簡単にまとめてしまうのでなくもっと専門的に追求する人が現れなければならないのではないか。

|

« 社会主義の誕生 | トップページ | 2012.4.28医療生協理事会での挨拶・・・・「健康権の主張は病院職員の悲鳴だ」 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 社会保障の権利の起源:

« 社会主義の誕生 | トップページ | 2012.4.28医療生協理事会での挨拶・・・・「健康権の主張は病院職員の悲鳴だ」 »