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2012年4月28日 (土)

2012.4.28医療生協理事会での挨拶・・・・「健康権の主張は病院職員の悲鳴だ」

 新年度が始まり、新入職員を迎えたと思ったら、もうゴールデンウィークが始まりました。高齢理事会にとって時間がたつのはとりわけ早いと実感されます。病院の前にもツツジが咲き始めていますが、理事の皆さまも十分この季節を楽しまれることを願っております。

さて、情勢は一足早く梅雨のように停滞しており、挨拶をする私としても話題がなくて困るところです。野田内閣は相変わらず①社会保障と税との一体改革、②TPP、③原発再稼働、④普天間基地の辺野古移転を自分たちの使命と考えて猪突猛進の姿勢です。反対する側の力も日に日に大きくなっていますから、この4課題の全部を破綻に追い込む可能性もでてきており、まさにせめぎ合いの重要な時期が続いていますが、取り上げるニュースはあまりないという感じです。

そのなかで、小さな話題としては、野田内閣に反対する運動をどう呼ぶかというのがあります。橋本構造改革、小泉構造改革につぐ第3の構造改革内閣であることは間違いがないのですが、では「(野田)構造改革-反対運動本部」とするかというと難しいかと思います。野田首相自身が「構造改革」とは絶対言わないのですから、やはり国民には違和感を生じてしまいます。「国民がどう感じてもいい、正しいと思っていることを堂々と言うんだ」という姿勢で失敗したのが昨年夏の参議院選挙における日本共産党でした。

その日本共産党は「野田暴走内閣」と言っていますが、出身が地理的な「房総」地域だと宣伝しているように誤解されるかもしれませんし、よい意図で頑張っていても、「理事長が暴走している」「専務が暴走している」と時々いわれるわけです。そういう時は、方向を改めるのでなくそのように言われる行動や態度を改めればいいわけですから、野田首相にもその程度のことを言っているにすぎないことになって、あまり上手なネーミングとはいえないと思います。

実は、そういうこともあって、全日本民医連も、野田内閣の路線に対する反対運動本部を作る際、その名前をすぐに決め切れませんでした。先に挙げた4課題を全部並べれば、正確にはなりますが、「ジュゲム・ジュゲム・ゴコウのすりきれ」に近くなって運動にはなりません。

なんだか、つまらないことをやっているようですが、私としては、我々の運動も国民感情を正当に重要視するようになった、いわば運動が成熟した現れと暖かく見ているところであります。

日本共産党が2月7日に「消費税大増税ストップ!社会保障充実、財政危機の提言」を発表しました。この中にも、次のような考えが入っています。

国民の多くは将来の社会保障財源を深刻に不安に思っており、従来の共産党が言うような「負担は全部大企業と富裕層で賄ってもらう。庶民は一円も負担しなくてよい」という主張では支持を失ってしまう。「今起こっている社会保障の大破壊を食い止めたら、ヨーロッパ並みの社会保障にする。その時は国民みんなの力で社会保障を支えよう。具体的には所得税の累進性の強化で、現在年収400万円の片働き世帯で年間2万円程度の負担増をお願いする。しかし、その時は景気が良くなって賃金が増えているので手取りは増える」というものです。

そこで、「負担が増えるというような政策を発表して大丈夫なのか」と私は直接に政策委員長の小池 晃君に聞きましたが、彼は若干赤い顔をして「評判はすごくいいです」と言いました。私はそれも温かく見守っていくつもりです。

さて、もうすぐ5月3日の憲法記念日が来ます。今年は憲法施行から満65年を迎えます。憲法も高齢者の仲間入りです。それに因んでというわけではないのですが、私は改めて憲法の勉強をしているとこ ろです。目的は別のところにあるのですが、いろいろ知らないことを知りました。最近読み終えたのは岩波現代文庫で古関彰一さんの書いた「日本国憲法の誕生」という2007年の本です。1989年に吉野作造賞をもらった古い版を新資料で全部書き換えたものなので比較的新しいといえるものです。

新しく知ったことは大きくいって2点です。一つは天皇を温存することと憲法9条にいう戦争と軍備の放棄の宣言が、連合国内の天皇制廃止派と継続派の間の交換条件だったといわれていること。年配のみなさんにはこういう問題があることが常識かもしれませんが、私は初耳でした。これに関わる今日の朝日新聞の記事は別に資料として付けました。武田清子さんというキリスト教の立場から思想史を研究している人が、天皇制をめぐる連合国のなかの二つの傾向と、日本国民の中にもあった天皇を絶対的存在と考える人たちと、旧憲法下の機関と考える人たちという二つの傾向がぶつかり合う複雑なドラマを述べています。これも参考になりますが、上記の交換条件説が本当かどうかは結局わかりませんでした。そうだったかもしれません。そうでなかったかもしれません。

もうひとつは、憲法9条の2項の最初に「前項の目的を達するために」という文言が入ったいわゆる「芦田修正」が、本当に、自民党の石破 茂元防衛大臣の言ったように、自衛隊合憲論の根拠なのかどうか。結論は、全然違う、です。ですから、田中直紀現防衛大臣もあんなに国会で萎縮して答弁する必要はなかったのです。「芦田修正」が「自衛のためには戦力を持ってもよい」としたというのは完全に後から付けた屁理屈で、当時は誰もそうは考えていなかったのです。

さて、私が、憲法の勉強をしている本当の目的は、「健康権」という、世界では普遍的な、しかし、日本ではまだ確定していない基本的人権が、いまの日本国憲法の中に読みとれるかどうかということを確かめるところにあります。そんなことを考えなくても「健康権」は間違いなく基本的人権のもっとも根幹をなすものだから、今年65歳の古い憲法に書いてあるかどうかは関係ないという立場もあるのですが、やはり、憲法の精神の中にそれはあると言いきれた方がいいので、素人ながら考えているのです。まだよくわからないのですが、憲法前文でいう平和的生存権、13条でいう生命権、25条の生存権全部を包括したものとして「健康権」という概念があるというべきだと思えるようになりました。

最後に、健康権に関して実践的なお話をします。昨年11月に私は49歳の男性の肺炎の治療を引き受けました。高校を中退して、30数年ずっと自室に引きこもって、本人と弟と母親の3人暮らしのなかで、母親が居間に置いておくカロリーメイトを主たる食事として生きてきた、見た目は幼い青年という感じの人でした。その人が数ヶ月前から発熱して衰弱しているということで、母親と、近所に住む母親の弟になる叔父さんに抱えられるようにして受診してきたわけです。栄養状態がすごく悪いので相当時間がかかりました。しかし何とか治すことができて、退院後1ヶ月経った3月には外来で完治したと宣言しまた。しかし、引きこもりの件があるので関係を絶たないため、2カ月後に外来受診を予約したのですが、最後の受診の1週間後に自室で自殺しているところを母親が発見しました。

どうにも悔しくてならないので、職員に頼んで自宅にお母さんのお話を聞きに行ったりしてもらって若干の情報収集を行いました。私が思ってもいなかったことが次々と分かってきました。お父さんがアルコール依存で、本人に暴力を加え続けてきたこと、(記載不能事項)、そして、病院入院時に、看護師の働く姿を見て羨ましいと本人が思ったこと、退院の時に病院のメンバーが母親に勧めて「せめて食事を一緒にしたらどうか」といったので、お母さんがそれを実行したら素直に応じて、「お母さんの作る鍋はおいしい」「お母さんのことが本当に好きだ」「入院してお金を使わせて申し訳なかった」と言って心を開き始めたことなどです。その矢先の自殺でした。私が逆立ちしても手の届かない状況がそこにあったことを思い知らされました。

私たちが「健康権は基本的人権だ」と主張するのは、病院に働く者としてはある意味、悲鳴です。病院にかかる権利を守っているだけではどうにもならないもっと深刻な事態が地域にはあるのだという認識です。それは、医療生協など地域の力でしか解決できないものです。だから私たちが医療生協を作って活動しているのは実はそのためだと考えています。

やや、長くなりましたが、以上を今月の御挨拶といたします。熱心な討議をお願いします。議長は恒例によりS常務理事にお願いします。

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