古関彰一「日本国憲法の誕生」岩波現代文庫、2009年
僕より9歳上の獨協大学教授が書いた本。
1989年中央公論社刊行の「新憲法の誕生」を底本としているが、その後20年間に明らかになった新資料がたくさんあり、それに基づいて大幅に加筆されているため、ほとんどこの文庫のために書き下ろしたといっていいものになっている。
ぜひ読むべきである。ただ、2007年にNHK特集としてほぼ同じ内容のTV番組が放映されたようなので、それを見た人には新しい情報はないのかもしれない。
学術的というより、ジャーナリズム的な筆致で、憲法制定に関わった人たちの群像を伝記的に描き出している。
とくに鈴木安蔵、松本烝治、宮沢俊義、芦田均、森戸辰男らが等身大で記述されている。
例えば宮沢がその後護憲の代表である「碩学」と呼ばれたりすることが相当的外れで、ずいぶん大層なものだということも分かる。
加藤周一は、戦前・戦後を通じて時代の趨勢に消極的な身振りながら必ず迎合していく人々を「新しき星菫派」として批判する若者として登場する。
○つい、先日、自民党の石破が元自民党の防衛大臣田中に、自衛隊の憲法的な存在根拠は9条の「芦田修正」だと得意げに教えていた。これで改めて芦田修正が注目されたと言ってよいが、もちろんこの本でもしっかり触れられている。
芦田修正とは、その後首相になる芦田均が国会の憲法制定にかかわる特別委員会の委員長として、九条第二項の冒頭に「前項の目的を達するため」という条件的な文言を挿入して、国際紛争解決以外の場合は戦力を保持できるという歪んだ解釈を引き出した修正である。
芦田が自分の名前がつく修正を、まさにそういう意味だと憲法施行直後から発言しているのは確かだが、正式な憲法制定過程の記録には芦田がそういう意図を持っていたことは残っていない。
1979年、大々的に「秘録」公開とうたって東京新聞に発表された「芦田日記」は芦田の意図が明確に書かれ、憲法改正派に頻回に引用されたが、1986年に発表された本物の日記にはそんな記述はどこにもなかった。GHQの記録(1983年刊行)にもその記録はない。
なんと記事は東京新聞記者の捏造作文だったのである。東京新聞はすぐに記事を取り消さざるをえなかった。
一方、GHQの上部機関、極東委員会では中国がすぐにこの修正の意図を疑い、激しい議論になったため、最終的にそう解釈されないための措置が取られている。
著者の推理では、修正に自衛のための戦力は憲法違反でないという意味を当初から滑り込ませようと企んだのは芦田ではなく、金森たち小才の効く少数の法制局官僚であり、その結果、思惑通りにその後の憲法改悪運動に利用され始めたということである。
結局、「芦田修正」は正当に戦力としての自衛隊合憲の根拠となるものでは最初からありえず、怪しげな一部の主張に利用されているに過ぎないとされる。
もちろん、歴代政府も芦田修正の意図なるものを認めてはいない。自衛隊はいまもって軍隊でも「戦力」でもなく、最小限の自衛措置ということになっている。自衛隊を合憲だとする政府の根拠は別の所にあるとされている。
石破の得意顔、田中の情けない顔も無意味なものだったのである。
○宮沢俊義は、機を見るに敏な人で、連合軍に迎合して敗戦を「8月革命」と呼んだと思ったら、時の政府に迎合して天皇主権を廃止して国民主権に変更することには反対の発言をする。
護憲派になるのはずっと後のことである。それはそれで宮沢の成長と言うべきものかもしれない。しかしこの人の胡散臭さは最後まで付きまとうものだった。
○森戸辰男も社会党の代議士として、憲法25条第1項を挿入することに努め日本に生存権を根付かせ、かつこの憲法によって選挙による革命が可能になったことを的確に言い当てる。共産党の人民的議会主義の主張にに20年先行している。その人がのちに自民党の教育問題でのブレーンになり「期待される人間像」という反動的教育目標を唱道するようになるのでる。
○戦争との軍備放棄を憲法に明記することは、当時の日本政府の強い抵抗にあう。その時、マッカーサーが、交換条件に出したのは、天皇の温存だったようである。
いわゆる、「天皇制と9条のバーター説」である。これは部分的にでも正しいようで、天皇制廃止方向への憲法修正意見も施行後2年後の見直しにあたって唱えられている。
しかし、その時はすでに情勢が変わり、GHQも再軍備に大きく舵を切っていた。
○ソ連その他がメンバーとなって作る「極東委員会」が設置されGHQの上部団体となるのだが、マッカーサーは「極東委員会」の憲法制定への介入を嫌って、その設置に先んじるよう大急ぎで憲法草案をつくったというのは事実のようである。
○外国人、特に在日朝鮮人に憲法上の平等な権利を与えることをなるべく避けるように、GHQをだましながら立ちまわる官僚もきちんと描かれている。「国民」を「日本国籍をもったもの」と狭く定義して、人権において外国人を差別しないというGHQ側の意図を歪曲していったのは、日本の旧勢力の修正だったのである。これが成功してしまったのは不幸なことだった。
○もっとも大きな問題となったのは、主権が国民にあるのかどうかということだった。天皇の地位を誰が決めるか、という文脈でそれは出てくる。
「sovereignty of the people」によってと新憲法草案の英語版には明記してあるのを、政府側は主権と言う用語を避けて「国民至高の総意」によってとしていた。それを共産党の野坂参三が厳しく指摘する。(アメリカにも長くいた野坂がsovereigntyを「ソヴアーレニティ」と読んでいるのは愛嬌だろうか。当時でも「ソヴリンティ」と発音していたはずである)
結局は「主権」という用語変わり、英文でもthe will of the people with whom resides sovereign power主権が存する国民の意思によって天皇の象徴たる地位が与えられたと明記されるのである。
◎しかし、僕がこの本を手に取ったのは「生存権」と言う用語がどのようにして生まれたのか、なぜ健康権という用語でなかったのかという疑問だった。
生存権という言葉は何度も出てくるし、森戸辰男の重要な役割は再確認できたが、上記の疑問についてのヒントは無かった。
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