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2012年3月25日 (日)

橋下・松井のTV出演を見て―拡大し続ける市場の強制力(命法)とエレン・メイクシンズ・ウッドの主張

そろそろ起き出さないと病院の日直の開始に間に合わないと考えながら、つい大阪府の松井知事と大阪市の橋下市長が出演するTVのニュースショーに見入ってしまった。テーマは職員基本条例案である。

「民間企業におけるような倒産による淘汰がない公務員には、相対評価での免職という仕組みを作って競争を導入しないといけない。その代わり賃金の安い新規職員の採用は思いきり拡大する」という彼らの主張に、それぞれの党の理論家とされる民主党桜井、自民党林の両議員が賛意を表明するところまで見て出勤した。

若者の将来を閉ざしている雇用の不安定を競争の結果として当然のことととらえ、それをさらに行政組織に拡げるというのだ。公務員相対評価の基準は、憲法や公正や正義ではなく、ただ選挙で当選した首長の政治的主張なのである。

そしてその政治的主張は関西財界と自分たちの利益でしかない。

その政治的主張を大阪の庶民が支持して首長に選び続ける。

橋下の進出はまるでナポレオン3世の権力把握過程を見ているようだ。ナポレオン3世が実行したのはフランスの新興産業資本家と高級官僚層のための国税の略奪だったのだが、小農民層は彼を自分たちの政治的代表だとして支持した。

資本主義が続く限り類似のことは起こり続ける。ヒトラーもスターリンも毛沢東もブッシュもそうだ。それは社会を支配した市場の強制力(命法)によるのである。

それが競争と淘汰と一部の者の利益蓄積を、まるで逃れられない自然法則のように感じさせている。

エレン・メイクシンズ・ウッドさんは「近代(民主主義)=資本主義の発展」と単純に考えてはいけないと言っている。

資本主義はイングランドの田園地帯から勃興した特殊な経済現象であり、確かに甚大な伝染力をもったものだったが、決して、近代全体の結論などではなく、近代はもっと違った可能性を多様に持っていたのだ、と言う。

ルソーなどの説いた啓蒙主義の理性はなんら資本主義に結びつくものではない。資本主義は、近代のすべてがそこに流れ込んでいく不可抗力的な自然現象ではない。

偶然の力で首長になった人間が多数の人間を不当に支配し被害を与えないようにする仕組みは、資本主義の外の、真の近代を反映した理性の論理で作るしかない。それこそが民主主義の発展である。

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