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2012年3月12日 (月)

私の医療生協の機関紙に寄稿:健康権についてのまとめ

そろそろ、健康権の問題にばかり関わるのをやめて、違うテーマを勉強したくなってきた。そういう区切りの意味で、私が理事長をしている医療生協の組合員さん向けの機関紙に健康権についての解説を書いた。

 大半、これまでこのブログであれこれ論じてきたことだが、「まとめ」としてアップしておく。

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 東日本大震災からちょうど1年(今年が閏年だったので)の310日、宮城民医連の医師団会議での特別講演を頼まれて宮城県塩釜市を訪れました。

 昨年317日に支援に向かった先の松島海岸診療所の山崎所長や松島医療生協の青井専務ともその場で再会することができました。講演後に宮城民医連の医師たちと交流するために出向いた塩釜の中心街はまだ津波被害が生々しく残っており、夜間に営業している飲食店もまばらでした。

 講演のテーマは「健康権の担い手となる医師養成を考える」というものでした。これは、宮城県だけでなく山口県にとっても重要なことなので、講演の概要をこの紙面に掲載してもらうことにしました。

【初めに―東日本大震災の教訓】

今日の日本で何を考えるにしても東日本大震災との関連なしには始められません。東日本大震災から私たちが得るべき教訓を二つにまとめておきます。一つは新自由主義的構造改革が被害を拡大し、復興を歪めているということです。これは「新しい福祉国家」構想を進めることが緊急の課題になっているということを意味します。もう一つは、被災地に寄せられた国民の気持ちは、新自由主義的な自己責任論から国民が解放されたとき、どれだけ利他的になるかを見事に示しており、ここに「新しい福祉国家」を可能にする力を見て取ることができるということです。

そして、この「新しい福祉国家」こそ、今日のテーマの「健康権」を実現するための主要な政治目標です。今日はそのことに詳しく触れられませんので最初に申しあげておきます。

【在宅医療の展望から始まって健康権を考える】

さて私が健康権に深く関わり始めたのは20118月に全日本民医連在宅医療交流集会の問題提起を作成したときでした。この集会は在宅医療をテーマにした初の集会でしたが、単一課題の集会としては史上最大の550人の方の参加が全国からありました。在宅医療は次の時代の医療の主役だという予感が多くの人にあったのだろうと思います。

2025年から超高齢社会のピークの時代に入ります。総人口は今から1000万人近く減少し、年間死亡者は現在の1.5倍になり、実数では50万人くらい増えます。

こういう事態に対する政府の方針は「地域包括ケア」です。一つの中学校区内で介護・医療・予防・住まい・生活支援の各サービスが連携しながら完結するという構想です。その中での死亡場所の変化ですが、病院・介護施設は90万人のまま、自宅および居宅(簡単にいえば老人向きアパート)が14万人から70万人に増えるという計画で、自宅・居宅で亡くなる人は現在の5倍になると想定されています。

これを在宅医療が5倍になると単純に考えると、現在60万人の人が訪問診察を受けていますが300万人になるという話になります。本当にそこまで在宅医療が拡大するという話になっているのでしょうか。政府の計画として語られている数字は現状の1.6倍から1.8倍程度に過ぎず、2倍にはならないというものです。とすると、在宅医療は拡大しないということが見えてきます。医療から介護へのシフトがうたわれており、定期往診に従事する医師は現在と変わりません。では介護が拡大するかというと、今年の診療報酬改定を見ても縮小傾向が明らかです。

したがって、2025年の在宅医療や在宅ケアは、今日より荒廃していきます。さらに中小病院や診療所、特別養護老人ホームなどにはほとんど資本投下がなされず、低所得層の吹きだまりという性格を深めます。いま特養待機者がまったく減らないのはこの事態の先取りと考えられます

その結果、様々な医療難民、療養難民が巷にあふれ、孤独死、無縁死、餓死,自殺が圧倒的に増えます。これが在宅死5倍時代の実像です。

これに対して民医連はどういう展望を持つのでしょうか。民医連がめざす在宅医療の将来像をいくつか挙げてみました。政府のいう地域包括ケアは欺瞞だらけではあるが、病院治療ではなく地域での包括的なケア、病院死でなく在宅死が主流というのがこれからの社会の姿であることは間違いありません。在宅医療はやはり数倍の規模になるべきです。またサービスのあり方と費用負担は社会保障の2大原則である現物給付と応能負担をつらぬいて決して医療と介護を「商品」にさせないことが必須です。また病院から在宅へという流れは避けられないのですから、在宅での医療は「在宅入院」とでもいうべき24時間365日体制で強化される必要があります。そして、これらのことは地域の総力を挙げなければ実現できないので、ケアに関わる地域連携が飛躍的に強化されなければなりません。まとめれば、「安心して住みつづけられるまちづくり」の一環としての在宅医療を目指すということになります。そのとき、「安心して住み続けられるまちの真ん中には中小病院を置こう」と一歩踏み込むことが必要かと思います。それを産業医大の松田晋哉教授は「病院門前町」と呼んでいます。

【『病院の世紀』から『地域包括ケアとQOLの世紀』になるのか?】

厚生労働省の唱える地域包括ケアについて私はきわめて否定的に考えていますが、真の地域包括ケアは歴史的な必然であるということについて、もう少し詳しく考えてみたいと思います。それはケアにかかわる社会の価値観がその方向に変化しているためです。

その価値観の変化は、高齢社会の到来によって生じたものではありません。医学的治療より生命・生活の質、すなわちQOLの方を優先するという価値観の変化が「ノーマライゼーション」論などの障害者福祉論から始まって、ケアに関する社会の価値観全体を変えるに至ったのです。治療医学は20世紀に大発展して「病院の世紀」を作り出し、大半の人が病院で死亡する時代を作り出しました。しかし、それでも地域ケアの主役は交代し、21世紀は「QOLの世紀」あるいは「地域包括ケアの世紀」となろうとしています。

しかし、私は、この変化は21世紀の社会に起こる重大な価値観の変化を半分にすぎないと思っています。

21世紀は『健康権』の世紀】

 21世紀にどういう変化が起こってくるか、それこそが「健康権」の確立にほかならないというのが私の主張です。それは20世紀が戦争と殺戮の世紀だったことへの深い反省の上に立ったものです。

健康権、すなわち「すべての人に到達可能な最高水準の健康が保障される」ことが最も基本的な人権だということは、第2次大戦後のさまざまな文書で謳われています。1946年のWHO憲章前文、1976年の国際人権規約、2000年の国際規約人権委員会「健康権に関する一般的意見第14」などが代表的です。日本国憲法25条第1項「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」との関係が問題となりますが、25条には明らかに敗戦国の戦争直後の窮乏した状態が反映されており、「最低限度の生活」という言葉もその後の革新自治体などでの実践により「標準的な生活」と読み変えられるに至っていると私は考えます。

しかし、そのような国際法や法律の条文解釈は今求められていることではありません。今求められているのは、現実に存在し拡大する不健康をなくすためのアプローチの仕方を見つけることであり、それによって健康権は「単なる宣言から実現の展望を備えた科学」になるのです。

【「健康の社会的決定要因」の探求により健康権は科学になった】

 現実に存在する不健康の解決を図ることはWHOの健康戦略として探求が続けられました。第1段階は1978年、旧ソ連のアルマ・アタという辺境の都市で開かれた会議で決められた「プライマリ・ヘルス・ケア」です。「2000年までにすべての人に健康を」という高い目標を掲げましたが、国民の政治参加の必要性や、アメリカ・旧ソ連に後押しされた開発途上国の独裁政権への批判の視点を欠いていたので結局は失敗しました。第2段階は1986年、カナダのオタワで開かれた会議で決まった「ヘルス・プロモーション」ですが、人々が健康になる方法をめぐって、アメリカ流の個人の健康習慣改善の強調と、ヨーロッパ流の社会環境改善の強調とに分裂します。主流となったアメリカ流は日本では「健康日本21」という姿を取りましたが、無残に失敗します。そこで、第3段階の健康戦略として、1997年インドネシアのジャカルタで開かれた会議で「健康の社会的決定要因」を探求し、それに基づいて社会を変えるという画期的な方針が打ち立てられました。

 結論から言うと「健康の社会的決定要因」こそ、健康戦略を、したがって健康権を「科学」にした21世紀初頭の大発見でした。

 「健康の社会的決定要因」に関する研究成果のなかで最も重要なのは、マイケル・マーモットというイギリスの社会疫学研究者が中心になってまとめた2003WHOヨーロッパ事務局「健康の社会的決定要因―確かな事実」通称「ソリッド・ファクツ」です。この功績でマーモットさんはのちにイギリス医師会の会長になります。

 「ソリッド・ファクツ」は社会経済的な格差がストレスを介して直接的に健康障害や死亡をひき起こすことを主張したうえで、膨大な疫学調査によって具体的に八つの代表的な社会的決定要因を決定し、それぞれに必要な対策を示しました。

 社会疫学調査が証明した具体的な八つの要因とは ①子ども時代の援助不足 ②劣悪な労働条件 ③失業など雇用の不安定 ④社会的差別と貧困 ⑤社会的支援の欠如 ⑥不正な薬物の濫用環境 ⑦食品の不良 ⑧公共交通の不備 です。

 こうしてみると、これらは「健康の社会的決定要因」と呼ぶよりも「健康の社会的剥奪要因」と呼ぶべきものだと分かります。剥奪されるものの共通点を抽出すると、「Ⅰ自律,Ⅱ社会と政治への参加、Ⅲ社会からの支援」の3点が浮かび上がりますが、これは個人の尊厳と可能性そのものです。人々がそれらを剥奪されないことが健康権の実体なのです。

 こうして、何が個人の健康と尊厳と可能性を破壊しているかが科学的にはっきりして、それを避ける方法も提案されているのにそれが実行されないことは、不正義そのものだとされます。そのため2008WHOは「不正義が大々的に人を殺している」というスローガンを掲げて、健康の社会的決定要因に沿った政策を各国に求めました。この呼びかけに応えて初めて、民医連運動も「崖の下の救急車」でしかない存在から脱し、崖の上で行われている大々的な殺戮をやめさせる運動、そして本当のHPH(健康増進病院)になることができるといっても過言ではないでしょう。

【健康権確立のため私たちは何をなすべきか】

 イギリスのマーモットと並んで、アメリカを代表する社会疫学研究者イチロー・カワチは、緊急に、子どもの教育の問題、雇用の問題、貧困の連鎖の問題という3項目に力を注げと言っています。これは先進国すべてに共通することだと思います。

全日本民医連40回総会は、民医連の役割をいろんな運動や個人の間の架け橋になることだとしました。上の三つの課題のための架け橋役には民医連が最もふさわしいと思います。

民医連の医療活動に限って言えば、医療の質を向上させる活動と健康権とを深く結び付けていくことで展望を見出すことができます。病院の内側だけに目を向けず、医療の質の指標=QIと地域健康アセスメントや全政策健康アセスメントを結びつけることが重要です。後2者についてはまだ方法を開発中という段階ですが、現時点からその動向をつかんでQIと結び付けていく努力が先駆的に求められています。現段階ではこれ以上のことは言えません。

ともかく、それらを通じて、多くの人たちが、健康権を実現する「新しい福祉国家」の展望を共有する状態を作り出していくのが私たちの戦略です。

すべてを決するのは健康権を担う医師づくり】

以上述べてきましたが、これらのことの実現は、健康権を担いうる医師づくりにすべてがかかっているといえます。東日本大震災で開かれた眼と上に述べた健康権の知識で日常診療を見直せば、日常は多くの人が日々健康権を剥奪されている災害現場に見えてくると思います。日常診療の中に災害を見出していく目を持った医師こそ、地域医療のプロフェッショナルだと呼びたいと思います。そういう医師を育てる方法の中心に、総合診療科があります。これまでの「地域連携」は、病院ごとの地域連携室を結びつけることが重要でしたが、もう一段進んで、各病院に総合診療科ができて、そのネットワークが地域医療をけん引していくということになれば、地域医療の民主的形成も現実のものとして展望されていきます。                 おわり

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