3.10の塩釜へ. 3.11にホテルで買った河北新報に震災で亡くなった人の名前の全部が掲載されていた
今年は閏年だったので3月10日が本当の1年目だった。
その日、僕は宮城民医連の医師団会議に呼ばれて、塩釜に行った。
仙台駅のタクシー乗り場に迷って、少し遅くなった。地震の跡が所々に残っている道を30分かかって、仙石線本塩釜駅の前にあるホテルに着いた。
70人くらいの人を前にすぐに健康権の話を始めた。準備には相当の時間を要したが、あっという間に終わる。
それから同じホテル内で交流会。
2次会に誘われて、街に出る。多くの店は壊れたままで、開いている飲食店もまばらだ。
歩いていると花火がなる。ほんの少しだけ聞いたのだが、亡くなった人の数だけの花火だったとあとで聞いた。
翌日は来た道を引き返したが、坂病院の外観だけを見るため少し回り道をしてもらう。
9階建てのしっかりした建物だ。タクシーの運転手さんがやけに病院に詳しい。「日本全国から支援の人が来ましたよ」と自慢そうだった。坂病院友の会があるのなら、その会員かもしれない。
道路幅拡張工事が目立つ道を通って、仙台駅へ。
新幹線の中で、ホテルを出る前に買った地元の河北新報を開く。特別な日なので記念にと思って買ったのだったが、23面から28面に震災で亡くなった宮城県の人々の名前全てが掲載されている。当たり前のことだが名のない死者などいないのだ。岩手、福島、その他は12日掲載とのこと。
それから河北歌壇を読む。悲しい歌が多くて目が離せなくなる。
それでも宇都宮に着くと東京が始まる気がして我に帰った。
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