雑誌「現代思想」2012年3月号「渡辺治×木下ちがや」対談『震災〈復興〉と構造改革』青土社・・・「共助」、権丈善一、「トモダチ作戦」
木下ちがや という人は知らない。どういう人だろう。ウッドの「資本主義の起源」を下訳した中村好孝という若い人とのつながりもあるようだから一橋大学の関係者なのだろうか。
だとすれば渡辺 治さんと対談するのも一橋大学仲間ということになる。
そういうどうでもいいことを書き出しにして、若干のメモを作っておくことにする。
「月刊保団連」2012年1月号と基本的に変わらないが、より詳しいところがあるからである。
僕の引用はいつものように恣意的で、自分に分かりやすいように勝手に言い換えてあるところが多くある。
●生存権の根拠を憲法25条ではなく、13条の「個人の尊重」「生命自由及び幸福追求」に置き、≪「個人の自立」の手段としての生存権≫とする考え方が新自由主義的な学者の中に広がっている。
*おそらく東京大の吉川 洋氏、慶応大学の印南一路氏のことが念頭にあるのだろう。
生存権の新自由主義的解釈で、ワークフェア論、アクティベーション論という。
*生存権という名称がここではもはや体をなさなくなっている。
これは「福祉国家的な給付によって個人の自立を妨げ福祉依存的な人を増やすのは生存権の濫用である。自立の手段として役立たなければ早めに福祉を打ち切るのが生存権の運用上正しい」という主張となる。
*その続きとして、印南一路氏は、憲法13条に基づいて救命医療は無料としよう、しかし25条に基づく通常医療は自己負担でと言っている。
*この傾向を念頭に置けば、「生存権はむしろ憲法13条の『生命の尊重』に与えられる名前としてふさわしく、憲法25条は『健康権』と呼んだ方がよい」という僕の意見などは、敵に塩を送るものでとんでもないということになるだろう。
だが、敵がいくら生存権を形骸化しようと策動しているときでも、生存権を発展させて「健康権」を打ち立てることを遠慮する必要はないのではなかろうか。
反動的改憲策動が吹き荒れる時代、憲法の中に新しい人権を盛り込んでいこうとすれば「影の憲法(シャドウ・コンスティチューション)」として掲げていくしかないと、古関彰一さんは言っている(岩波現代文庫「日本国憲法の誕生」序)。僕もそれに賛成するものである。
●3.11後の状態は、社会的支援が福祉依存型の人間を作るなどの議論の浅薄さを明らかにした。きちんとした雇用を国が作り出すかどうかがまず問われているのだ。
●翻って考えて、東北の被災者と、リストラによって解雇された者の間に本質的な差はない。いずれも自己責任など関係のない自然あるいは社会的災害の被害者なのだ。
●菅政権では、なぜ直接的に消費税引き上げといわず、「税と社会保障の一体改革」という回りくどい言い方をしたのか。
2010年の参議院選挙で消費税増税を掲げて大敗したので、そのままは出せなかった。しかし消費税増税は財界の強い要求だったので手を変え品を変え実行しようとした。
鳩山首相が保守政権の枠を逸脱してアメリカと日本の財界によってつぶされた後だったので、「消費税を上げて社会保障を充実する」という福田、麻生内閣の先行政策とは違って、社会保障費充実は全く念頭になかったのに、、消費税引き上げのためには「社会保障改善と一体」というしか他に口実がなかった。要するに詐欺的言動そのものということである。
そこには、宮本太郎(*や神野直彦や湯浅誠)など、これまで社会保障の専門家と思われていた人たちが起用されて、国民の目を欺くのに利用された。
しかし、3.11まではそれは死んでいたといってよい。国民の支持が全くなかったからである。
3.11以降は、復興という名の社会保障費削減の絶好の口実ができた。まさにショック・ドクトリンにしたがって消費税増税を一気に進めるチャンスが来た。
「政府も社会保障と言う無駄を削るのに努力するから、国民の皆さんも消費税増税に耐えてください」という主張である。
生活保護の不正受給キャンペーンが始まる。
「社会保障費削減に最大限の努力をするので、消費税増税分は社会保障費に充当しているように見せかけてください」と厚生労働省は奇妙奇天烈な理屈を言いだす。
●2011.6.30の「税と社会保障の一体改革」「成案」の特徴は2点。
一つは社会保険を「共助」とし、19世紀の社会保険スタート時に戻っていること。したがって「負担なければ給付なし」が原則となり、社会保障理念は放棄されている。同時に「地域包括ケア」構想で、生協やNPOを「共助」に格上げし、国と自治体の責任をそこに肩代わりさせようとしている。
もう一つは、日本の社会保障費は高齢者給付三経費(医療・介護・年金)が多すぎるから現役世代への恩恵がないという「高齢者天国論」を主張していること。
しかし、これは福田内閣当時の「社会保障国民会議」の場で、権丈(けんじょう)善一(よしかず)によって完膚なきまでに粉砕されているものである。権丈の主張は極めて簡単で、高齢者給付が多く見えるのは相対的な話にすぎず、日本の社会保障費総額が低すぎるのだというものである。ここで高齢者給付を切れば、日本は完全な「低福祉国」になる。
●アメリカは、単純な中国台頭脅威論で動いているのではない。今後の世界の経済成長センターであるアジアのなかにアメリカ資本を喰いこませることに懸命になっている。
それは冷戦時の軍事行動が資本蓄積と必ずしも結び付かなかったことと比べて対照的である。
TPPのような経済戦略とアメリカ軍の行動はきわめて密接な連携を見せるようになっている。
世界各地のショック・ドクトリン遂行の後ろ盾として米軍の軍事行動があるとみてよい。
そのため、アメリカの存在を震災復興のなかでディスプレーしようとした。それが「トモダチ作戦」である。
*映画「20世紀少年」が思いだされて「トモダチ作戦」というネーミングはとても気持ちが悪いものだった。それもちゃんとプロの宣伝屋の関与で計算済みなのだろうか。オカルト団体がテロや大災害の中で政権を握っていく構図はそれなりにあの映画や原作の漫画の時代感覚のよさを証明していたが。
仙台空港に最新鋭機器を投入し、あっという間に滑走路を使用可能とし、復興支援のイニシアの拠点とした。海兵隊を全面投入し海兵隊の力を見せつけた。日米統合任務部隊を創設するが、日本の主権などないかのように強圧的に振舞った。
福島は、核が世界中に拡散していく中で必ず起こる放射能災害への実験場として利用した。
●経済同友会「復旧でなく復興へ」の真意
浸水して塩びたしになった農地を国が補償しなければ、零細農家は必ず手放す。それを企業が叩き買って大規模農業を始める。
零細な漁港も放置すれば漁民は漁業をあきらめる。そのあと大企業が漁業権を取得し大規模漁業を始める。
そうすればTPP下でも太刀打ちができる。そのためには原発の安い電気が必要だから、すぐに再稼働する。
また海外からの企業誘致のためにも法人税率引き下げは当然である。県別でちまちま開発費を出すのでは非効率なので、県を取っ払って「東北州」にする。投資をもっと州都仙台に集中させる。
これが、いまのショック・ドクトリンの具体像である。
●復旧・復興が阪神・淡路大震災型になってはいけないと主張する財界の真意
阪神・淡路大震災の時は、亀井静香と野中広務が中心になって迅速な16兆円の財政出動を行った。(ただし、大半はゼネコンにわたり、個人の生活復旧支援には回されなかった)
今回、それを行うと巨額の赤字国債が必要となり、法人税引き上げが必ず行われる。大型の財政出動は絶対にさせない、と財界は考えている。
そのため、廃棄物処理法のもと市町村が責任主体となって行うがれき処理への国庫負担は上限5割のまま、公営住宅法で行われる仮設住宅建設も国庫補助2/3のまま。これでは機能が著しく低下している被災市町村はなにもできないできない。町ごと機能を失っている大槌町はどうしたらいいのか。
そのためがれき処理は遅れに遅れ、2011.8.12にようやく特例法が通った。
一方、不十分な財政出動の行く先は大手ゼネコンと大手プレハブ会社。地元業者に行くことはない。鹿島建設は石巻の巨大堤防受注で儲け、それが壊れたあとのがれき処理受注でまた儲ける。再建のための堤防発注にも顔を出すのは間違いない。
*まさに震災を食い物にして鹿島建設などゼネコンはますます大きくなっている。
宮城の村井知事と岩手の達増知事の姿勢は相当違う。村井の方が悪い。岩手は仮設住宅に地元業者を入れたので断熱材が使われたが、宮城は大手に丸投げしたので断熱材なしで作ってしまって、追加工事が必要になった。宮城は漁港を集約化し、漁業権も法人に移転しようとしている。
●菅は、財界に忠実に動いたため国民の不信を買って支持率が10%台になった。その状態ではTPP参加や消費税引き上げができないので、「口先だけ」という批判で財界は菅を切った。
*ヤクザ映画のようである。
●菅に替る野田内閣は税と社会保障の一体改革、TPP,原発再稼働、普天間移転の4つを実行するための内閣。
そのためには自公―民の大連立が必要。
それが成立した時は、改憲が浮上する事に注意。
●自民にも民主にも失望した国民は第三の政党を求めている。
その候補の石原、橋下その他が読み違えているのは、国民の不信の原因。それは彼らが思うような、日本の国家としての地盤沈下ではない。新自由主義、構造改革による生活破壊が止まらないことが本当の不信の原因だから、右翼的なナショナリズムが支持されることはない。
橋下は、もとより信念でなく「勘の良さ」で脱原発を唱えている。支持のつなぎとめに役立つことを素早く察知したからである。また、東京に比べて衰退している大阪を代表するという姿勢も支持を得やすい。これらを武器に彼でないとできない乱暴な新自由主義改革を実行して、全国区になるにつれて、財界にとって都合の悪い角のある主張を捨てていくということになるだろう。
●真の対抗運動のモデルは9条の会。
①良心的な保守が革新と結びつく ②ネットワーク型で指導部を持たない
反原発運動は、大江健三郎や澤地久枝を介して9条の会にオーバーラップしている。
しかし、9条の会にはない参加層がある。それは素人の乱系の、不安定雇用に悩む若い人たち。敏感な彼らにとっても9条は空気の様なもので、あって当たり前、自分の力で守るものとは思えなかったかもしれない。しかし、原発事故は違う。
原発については自分たちの運動で自分たちを守らないといけないと若い人が思っている。
もう一つは、若者より少し上の世代で、子どもを持っている世代。素人の乱を他人事とみているやや保守的な層だったが彼らも動かざるをえない。
●しかし運動だけでは、自壊する。新たな政治システムの実現がなければだめだ。新自由主義を克服する政治システムは新自由主義を生んだ先進国で作らなければならない。可能性があるのはヨーロッパと日本だ。
雇用と社会保障、これは旧い福祉国家から引き継ぐ変わらない二本柱。
そのとき真剣に考えなければならないのは財源論。
無駄を省くだけではだめ。増税は必要。どこから増税するか。国民か大企業か。
世界中で法人税引き下げ競争をやっている時に法人税引き上げは可能か。
同じことは累進課税にも言える。
政策課題の探求は膨大なものになると覚悟しなければならない。
●「いま、なぜ福祉「国家」なのか。必要なのはグローバルな市民運動なのではないか」という疑問に対して。
多国籍企業も国民国家をフルに活用して利益をあげている。彼らに対抗するには、福祉国家となった国民国家の協同が必要だ。
*これは「資本の帝国」でエレン・メイクシンズ・ウッドさんが強調していたことであり、もはや反対論は無いものと僕には思えるが、渡辺さんは気にしているようだ。
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