大澤真幸「夢よりも深い覚醒へ」岩波新書2012年、外岡秀俊の「3.11複合被災」にも冒頭に誤記
東京出張中に、岩波ホールで分かりにくいグルジア映画を見た後、急に娘の状態が気になって電話すると予想通り泣きじゃくっている。突然、自分の現実の底が抜けて見えたような不安に襲われる。
それはこの本の冒頭に挙げられたフロイトの引用に出てくる、死んだ子供が生き返って自分を責める夢を見た父親が、夢によって初めて自分の人生の真実に直面して怯えるのに似ていた。グルジア映画は僕にとって一つの夢だったのである。
そういう私的なことは置いて、話を上記の本のことに限ろう。
夢をみるということは、より深く人を現実に向かい合わせる作用があって、いわば現実よりも深い覚醒と言えるのだから、人にとって必要なのは夢を契機に人生に正面から向かい合い、より深い覚醒に向かうことだと著者は冒頭に主張する。
そして日本が見たそのような夢類似の経験として3・11があるのだとして、テーマは東日本大震災と原発事故に移っていく。
そういう書き出しなので、思わず引き込まれて読んだが、柄谷行人をなぞっているような理解しにくい叙述のなかに幾つか浮かび上がってくることがある。
◯手の込んだ原発擁護論と見える所
41ページ 進化論のシナリオの第3類型「理不尽な絶滅 wanton extinction」を例にあげながら、遡及的にしか倫理上の善悪を論じられない場合があるとして、妻子を捨ててタヒチで成功したゴーギャンと福島第一原発を同等視する。ゴーギャンの家族遺棄は芸術の成功によって結果的に善となり、原発は主観的には良い意図で作られたが、3・11が生じたので、結果的に悪となった(だけ)というのである。
原発の開発が原潜から始まり、日本にはビキニ環礁実験での被害賠償がわりに技術供与され、原発利益共同体に至ったという誰もが知る経緯から考えると、大澤は何を言っているのだという気がする。
◯結論としては原発否定に導く所
191ページ
イエスが現れたこと自体が神の国の到来であり、イエス自身はその時代の人の生き方を身を以て示さなければならなかった。そのため、彼は古い社会に対し徹底的に革命的であり、その結果として磔にされ死んだ。後戻りはありえなかった。
同じように、原発事故が起こったこと自体が原発を用いてはならない時代の到来したことをそのまま意味する。後ろを顧みることはできない。
この比喩が大澤本人以外に必要かどうか、あるいは原発反対論として社会に通用するかどうか。
ロールズ正義論の分かりやすい解説がなされ、「無知のベール」が同じ時代の同じ社会の人の差異をなくしてしまう思考実験法でしかなく、それによる意思決定が、未来社会に生きる「未知の他者」をも考慮した理性的なものになるかどうかには限界があるなどと説明されるなど、読み物としてはかなり面白い。
原発問題の当事者として10万年後の人類が存在するが、それをどう取り扱えばよいのかということは現実的問題である。
しかし、この本が、そのように3.11以降を真剣に考える多くの人の参考になるかどうかは疑問として残る。
むしろ岩波新書という媒体でなかったほうが良かったのではないか。
*岩波新書として同時発売の外岡秀俊「3.11複合被災」には、冒頭から東松島市を東松山市とする誤記があり、これだけで、当面読む気を失った。これは出版としては致命的な失敗だ。
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