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2012年2月 1日 (水)

中村 佑さんは僕の医療生協の組合員だった

2001.9.11の世界貿易ビルで銀行員だった息子さんを失ったあと、無関係の市民を殺してしまうのはよくないとアフガンへの空爆やイラク戦争に明確に反対するなど正義感に満ちた発言をしている下関の中村佑さんが、僕が理事長をしている医療生協の機関紙に写真を寄せてくれている。

新年号の理事長挨拶の横の美しい竹の写真がそれだ。

島本慈子「戦争で死ぬということ」岩波新書2006で、初めて僕は中村さんが下関から世界の平和について発信していることを知った。 

*このブログの2008年3月の記事で、僕は

『9.11日本人被害者中村匠也さんの父親で下関に住む中村佑さんの発言はほとんど知らなかった。時々TVでは見ていたが気に留めていなかったのだ。アフガン空爆やイラク戦争に際して「敵討ちができてよかったね」という知人らの声に対して、佑さんはきっぱりとアメリカの軍事行動の無意味さと有害性を指摘していたのである。』

と書いている。

続いて、医療生協機関紙の2月号では、新しい訪問看護ステーションの開所式にあたって「偽の地域包括ケアと真の地域包括ケアの違い」を強調しながら僕が挨拶しているのがトップになっているが、同じ号に中村さんの趣味の写真と郷土の江戸女流俳人 「田上菊舎」http://homepage3.nifty.com/chofu/kikusya.htmの足跡を訪ねる一文がさりげなく載っている。

確かめてみると中村さんも医療生協の組合員なのだ。
驚いた。みんなどこかでつながっている。

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