« 日本の青年の心の傷つき方は尋常ではない・・・雑誌「」2012年3月号大山夏男論文から | トップページ | レベッカ・ソルニット「災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか」 亜紀書房2010・・・民医連が行っている無料・低額診療は平等な関係の上に立つ利他主義の現れであって、慈善に陥ってはならない・・・「健康の社会的決定要因」の発見は、疾患を災害と認識させ「災害ユートピア」を展望させるだろう »

2012年2月17日 (金)

民医連の方針討議の中で・・・新しいタイプの総合医を作らなければならない、という結論だけがごく簡単である

もうすぐ全日本民医連の2年に1回の総会が開かれ今後2年間の方針が決まる。僕はほぼ毎日その方針案の討議に参加している状態である。

その中で、僕が新たに発見したテーマはたくさんある。ごく簡単にまとめてみよう。

○まず現在の野田内閣の構造改革まっしぐらの姿勢は、ナオミ・クラインが提唱する「惨事便乗型資本主義」そのものであるということ。

惨事便乗型資本主義の共通の結果は、政府事業の民間への売り渡しで莫大な利益を民間企業に手渡すことである。本来、それらの事業は税金を元手に始められ利益が挙がれば国民の福祉に還元されるべきものでもあったので、民間企業がやっていることは国民の税金の強奪でしかない。

小泉内閣はバブル崩壊という惨事を利用して、郵便事業を民間に売り払って国民に大損害を与えたが、野田内閣が売ろうとしているのは社会保障である。同時に大阪では橋下が行政そのものや教育を民間に売ろうと策を練っている。

○次に東日本大震災の体験の何が、一人の青年の人生を民医連と固く結びつける原体験になりうるのかということだが、これにはレベッカ・ソルニットの「災害ユートピア」の視点がヒントになる。人々が何の利己心もなく助け合う瞬間の出現が、この社会の未来の希望を示唆するのかどうかということである。僕はもちろんそうだと考えている。

○それから医療を含む広い意味での「ケア」が、20世紀を「病院の世紀」にした生物学・医学的なものから、その人の生きがいを重視する心理的なものに変わり、21世紀を「QOLの世紀」あるいは「地域包括ケアの世紀」にしようとしていることは、避けられないし後戻りできない変化として受け止めなければならないというのは新しい発見である。

しかし、政府が「社会保障と税の一体改革」で推し進めようとする「地域包括ケア」は医師抜き、医療抜きの安上がりのケアを目指すもので、本来の地域包括ケアとは無関係のものである。そういう策動が進む中で地域包括ケアを進めるには、医師や病院の積極的関与こそが決定的に重要である。それは病院中心の住みよい街づくり、病院門前町構想になる。それこそが被災地の街の復興や21世紀の人間の住む街のありかたそのものである。

○ただし、これを「その人らしく生きることが一番いいことだ」という価値観に結び付けていくことには抵抗を感じる。「その人らしい」ということが無条件に善いことだとは限らないからである。

したがって社会の価値観が「QOLの世紀」「地域包括ケアの世紀」に変化していることは間違いないとしても、それは本当に向かっているところを中間的に示している過渡的な表現に過ぎない。

○では、社会の価値観の本当のところはどこに向かっているのか?それは生物・医学的視点、心理学的視点に加えて社会的視点を備えた(bio-medico-psycho-social)な「根拠のある健康権の世紀」である。大げさに言えば「正義の世紀」といっても良い。

もしそういうなら「20世紀は戦争と不正義と病院の世紀、21世紀は平和と正義と健康の世紀」と呼ぶことになるだろう。

根拠のある健康権、言い換えれば「科学になった健康権」はなぜいま展望可能となったのだろう。それは世界大戦の反省から営々と積み重ねられてきたWHOの健康戦略の到達によるのである。

健康戦略の始まりだったプライマリ・ヘルス・ケアはおそらくソ連の妨害で住民の政治参加を拒むものとなった。それに次いで提唱されたヘルス・プロモーションはアメリカ流に個人責任を追及するものに変質した。その後、本当の健康戦略として「健康の社会的決定要因」探求とそれに基づく社会改革が現れた。

この企画の成功が健康戦略を科学にしたのである。

そして「健康の社会的決定要因」探求は、人間の健康を阻害するものの本質が「政治参加、自律、社会的支援」の剥奪であることを明らかにした。それはアマルティア・センのいう正義の剥奪に他ならないものだった。

ここで健康は正義の基礎であり、健康の剥奪は不正義だということがはっきりした。WHOは「不正義が大量に人を殺している」と現在の世界を表現した。

○では「健康権」、すなわち現代の正義はどうすれば日本で実現されるのだろうか。それが「新しい福祉国家」構想である。

「新しい福祉国家」がなぜ新しいかというと、それが実現するのが「健康権という日本では新しい人権」だからに他ならない。

○では「新しい福祉国家」はどのようにして可能になるのか。国民的な運動はもちろんだが、一つの国家としては経済的土台部分の変化で支えられなければならない。

ではどういう経済的変化が必要なのか。それは大企業、国家の経済的な力に拮抗するような「非営利・協同」セクターの発展以外にない。

○そのような発想と実現が可能かどうか、という理論的探求は、実に意外なことに、民医連でも日本共産党でもなく、柄谷行人の「世界史の構造」論のなかにある。

僕たちは今後彼との対話を必要とするだろう。

その際、9条の会の小森陽一東大教授がその仲立ちをしてくれるのではないか。

彼は柄谷の作ったNAMの会の会員でもあった。

小森氏もまた橋を架ける人である。

○ここで、もう一つ難問が残っている。それは医療機関の連合体に過ぎない民医連が国家構想を語るべきかどうかという問題である。実はそれは問題ではない。

国家構想を持つ資格は政党にしかないという、旧ソ連式の思い込みが作り出す架空の問題意識である。

○最後に、新しい福祉国家をめざす民医連の担い手の中心である医師はどのように養成されるべきなのか。

簡単に言ってしまえば「救急医療も、病棟医療も、在宅医療も同時に担うことができる、社会的視野の広い総合医」を目指すべきだということになる。

ごく間単に、といったがけっこう長くなってしまった。新しいタイプの総合医を作らなければならない、という結論だけがごく簡単である。

|

« 日本の青年の心の傷つき方は尋常ではない・・・雑誌「」2012年3月号大山夏男論文から | トップページ | レベッカ・ソルニット「災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか」 亜紀書房2010・・・民医連が行っている無料・低額診療は平等な関係の上に立つ利他主義の現れであって、慈善に陥ってはならない・・・「健康の社会的決定要因」の発見は、疾患を災害と認識させ「災害ユートピア」を展望させるだろう »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 民医連の方針討議の中で・・・新しいタイプの総合医を作らなければならない、という結論だけがごく簡単である:

« 日本の青年の心の傷つき方は尋常ではない・・・雑誌「」2012年3月号大山夏男論文から | トップページ | レベッカ・ソルニット「災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか」 亜紀書房2010・・・民医連が行っている無料・低額診療は平等な関係の上に立つ利他主義の現れであって、慈善に陥ってはならない・・・「健康の社会的決定要因」の発見は、疾患を災害と認識させ「災害ユートピア」を展望させるだろう »