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2011年12月26日 (月)

ジョン・ロールズ「正義論」川本隆史ほか訳紀伊国屋書店2010を読んで考えたよしなしごと

○医師、歯科医師、看護師の給料の格差について

144ページに次のようなことが書いてある。

≪最も不遇な人に対しても、教育に向ける諸資源を訓練後の収益に比例させて考えるべきではない。その訓練が市民一人ひとりの生活をどれだけ豊かにするかを考えて割り当てるべきだ。≫

これは給料についてもいえるのではないだろうか。

屁理屈をこねる人は「医療保険制度で定めれられた診療報酬で給料は決まる」と言い始める。

「したがって、診療報酬が低い歯科医師の給料は、診療報酬の高い医科の医師より低くなくてはならない。同様に看護師の診療報酬などないに等しいから看護師の給料も低いのが当たり前だ」

こういう理屈をこそ、ロールズは批判しているのである。

すなわち、表面的な稼ぎ高で給料を決めてはならない、どう全体に貢献しているかをよく見なくてはならないということである。

そのとき、医師は技術の難易度が高いので社会への貢献度も高いと考えるかもしれないが、それもそう正しくはない。

医師の能力発揮は、その他の医療関係者のチームに支えられなければ不可能である。

医師が自分の能力と思っていることの大半は、彼や彼女が働くチームやシステムの能力以外のなにものでもない。

養成費用が高いので給料も高いとマルクス主義者は考えやすいが、それも間違えている。養成費用の自弁部分が多少多いかもしれないが、大半は社会的に賄われているからである。

○メリトクラシー(meritocracy)= 能力や努力によって得た業績がものをいう社会 について

135ページに出てくる言葉。

直観的には生まれた家柄で一生が決まる身分制社会より、メリトクラシーの方が合理的のような気がする。

江戸時代と昭和の学歴社会くらいの違い。

しかし、これもよく考えるとそれほど差がないことが分かる。

様々な能力や、努力しようとする性質は生まれた環境で決まることが多いからである。

確かに貧窮の中から身を起こす人もあるだろうが、そこには宝くじに当たるほどの確率に似た偶然が作用している。たいていの貧乏人はその環境では努力が実らないことをいやというほど知らされてドロップアウトしていくのである。

また偽メリトクラシーというものもある。これは僕の周囲でよく見かけるのだが、能力よりも、能力を誇示しようとする性格の悪さがものを言ってしまう場合である。さほどの能力はなくとも運よく医師になれた人間が全く無意味なことでも盛んに自慢すれば、それを本当の能力と信じる人がその周囲に出てくるのである。

したがって、身分制社会とメリトクラシーはほぼ等しく、偽メリトクラシーとなればより不快だという結論になるだろう。

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